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登城日 2004年 8月22日(日)曇 難易度 ☆☆ 場所 岐阜県不破郡垂井町岩手619-2 天正16年(1588)竹中重門が菩提山城の山麓に陣屋を築く。 尚、築いた時期は、文禄から慶長年間の頃の説もある。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにて、竹中重門は当初西軍につき、犬山城城主石川貞清に協力。 稲葉貞通、稲葉典通、加藤貞泰、関一政らと犬山城に籠城する。 しかし、井伊直政の仲立ちにより東軍に加わり、黒田長政軍として参戦する。 関ヶ原の戦いは竹中氏の領土も戦場となったことなどから、徳川家康より1千石の米を下賜され、また、領土(不破郡岩手6千石)を安堵される。 竹中氏は旗本交代寄合として、明治元年(1868)まで存続する。 現在その跡地は岩手小学校と民有地となっているが、白壁の櫓門、水堀の一部分、石垣の一部分が残っている。 また入り口付近に竹中重治の像が建てられている。 (wikipediaより)地図。 垂井駅からバスがあったのかどうか解らなかったので、とにかく歩きました。 遠かったです。 詳しい地図で見る 櫓門。 陣屋内から。 陣屋跡は小学校になっており、これ以上先へは進めませんでした。 関ヶ原の戦いで竹中氏の領地も戦場となったことなどから、家康より供養料として1千石の米を下賜され、この1千石で築かれた外堀は「千石堀」と呼ばれている。 竹中半兵衛重治と千石堀。 豊臣秀吉の軍師として活躍。 陣屋が出来る前に、播磨の三木合戦の陣中で死去しているので、この陣屋とは直接関係ありません。 東京から18きっぷで日帰りしたので、菩提山城へは行けませんでした。 ここが西端ですね。 |
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2009年06月27日
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