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登城日 2004年 9月20日(月)曇時々雨 難易度 ☆ 場所 秋田県横手市城山町 今や秋田新幹線も通り、またB級グルメ横手やきそばで有名になった横手市。 かつて、ここは城下町でした。 【横手城の歴史】 横手城の築城時期は、諸説ある。 戦国時代には、小野寺配下の横手氏・大和田氏・金沢氏が横手城を拠点にして反抗したが、これは鎮圧されている。 その後、小野寺氏は横手に本拠を移した。 横手城は土砂崩れの防止と斜面に敵兵が滑ってよじ登れないようにするために韮(ニラ)を植えたため、韮城とも呼ばれた。 関ヶ原の戦いの時、当時の城主であった小野寺義道は、上杉景勝に通じたことより徳川家康に西軍方とみなされたため1601年に改易され、一時的に最上氏の手に渡る。 慶長7年(1602)、久保田城に佐竹義宣が転封されてくると横手城も佐竹家の所有となり、城代が入れられた。 城代には伊達盛重、続いて須田盛秀が入り、寛文12年(1672)に佐竹氏一門の戸村義連が入城して以降戸村氏が明治まで務めた。 戸村氏は代々十太夫と名乗った。 元和6年(1620)、一国一城令により久保田藩領でも支城が破却されたが、横手城を重要な拠点と考えた佐竹義宣が幕府に働きかけたため、破却を免れた。 元和8年(1622)、当時江戸幕府年寄で下野宇都宮藩主の本多正純が宇都宮城釣天井事件でこの地に流罪され、1637年3月10日に亡くなるまで過ごした。 江戸時代末期、戊辰戦争の際には、東北地方では佐竹氏は孤軍官軍側につく。 陸奥仙台藩と出羽庄内藩の軍勢が、戸村大学(義効)の籠城する横手城を攻撃し明治元年(1868)8月11日の夕方に落城した。 明治4年(1871)に廃城。 明治12年(1879)に戊辰戦争で戦死した22人の霊を慰めるため焼け残った城の資材を再利用して本丸跡に秋田神社が建立された。 太平洋戦争後の昭和40年(1965)に本来の横手城に天守はなかったが、郷土資料館と展望台をかねて二の丸跡に模擬天守が建設された。 この天守は、東北地方における模擬天守の初見である。 (wikipediaより)駅からちょっと離れています。 詳しい地図で見る ようやく横手城が見えてきました。 城山を登ると模擬櫓が建っている。 元来、天守閣など無かった。 ここは二の丸だそうです。 模擬櫓から市街を見下ろす。 ライブカメラもあります。 http://www.yokotekamakura.com/34-live/haru_live1.htm 本丸を見る。 本丸には秋田神社が建っている。 天気が悪かったせいか、人も少なく暗い印象だけが残った。 町の様子は寂れた感じで、なんとなく元気が無かった。 今は、街おこしで変わったのでしょうか? |
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2009年09月20日
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