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登城日 2003年秋 晴 難易度 ☆☆ 場所 茨城県坂東市逆井 関宿城から利根川を渡り少し行ったところに逆井城があります。 この城は復元建物があり、見やすいです。 詳しい地図で見る 【逆井城の歴史】 北側に西仁連川用水を臨み、西に入江だった蓮沼が存在する台地の先端上に位置している。 西仁連川は江戸時代の干拓の際に沼の西側外周部が掘削されたもので、干拓前は飯沼という南北30kmに広がる沼が城の北方に存在していた。 この南北に細長い飯沼は逆井城の北で東西に蛇行しており、城はこの沼の歪曲部に位置し沼に囲まれた「後堅固の城」でもあった。 北崖を飯沼が洗い堅固なため、本丸が最北端に位置している。 南側に曲輪が連なり、大軍も収容できるように大規模な構造となっている。 築城は享徳年間ごろといわれる。 小山義政の五男・常宗がこの地を領して逆井氏を名乗り、この城を居城にしたという。 しかし常宗の孫・常繁のときの天文5年(1536)古河公方方であった逆井氏は後北条氏と対立した。 そのため後北条方の大道寺盛昌の攻撃を受け逆井古城は落城、逆井氏は滅亡したと伝わる。 ただし落城年がこの地域への後北条氏の進出時期に合わないため落城時期には異論もある。 小田原北条氏の勢力下に入った逆井城は、天正5年(1577)玉縄城主北条氏繁によって藤沢から技術者が呼ばれ、新たに築城されることとなった。 逆井の地は北条氏にとって下野・常陸方面への侵攻の最前線であったためである。 後北条氏の最新の技術が投入された飯沼城には氏繁が入り、佐竹氏・多賀谷氏などと対峙した。 天正6年(1578)氏繁は逆井城で没し、その後を子の氏舜・氏勝兄弟が継いだ。 風魔小太郎の子・風魔孫右衛門など忍者集団300人が拠っていたともいう(『関東古戦録』)。 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原の役による後北条氏滅亡に伴い、廃城となった。 (wikipediaより)逆井城絵図。 またもや自分が写ってしまった。 ハズカシイ… 逆井城遠景。 逆井城跡公園の入り口に建つ二階櫓。 古風な感じがいいですね。 二階櫓から南外濠を見る。 二階櫓から西二曲輪方面を見る。 二階櫓の西側には井楼矢倉が建つ。 井楼矢倉から西二曲輪方面を見る。 井楼矢倉から大手方面を見る。 井楼矢倉から西外濠を見る。 西二曲輪虎口。 逆井城枯山水。 戦国の世にもこんな庭園があったのでしょうか。 あったらいいですね。 主殿。 堀之内大台城の発掘調査結果をもとに復元したもの。 城内には逆井古城の跡が僅かに残る。 濠跡。 鐘掘り池。 池の名の由来は、逆井城落城時に城主逆井常繁の室(娘とも)の智姫が先祖伝来の鐘を被ってこの池に入水したと伝えられたため、この鐘を探すために後に何度も池が掘り返されたことにちなむ。 東曲輪空堀。 横矢掛り。 東二曲輪。 逆井城碑。 本丸へ向かう。 本丸二階門。 空堀を見る。 空堀から二階門を見る。 本丸。 たくさん見所があったんだと思いますが、当時はあまりじっくり見る習慣が無く、帰ってしまった。 もったいない。 |
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2009年11月02日
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