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所在地 京都市下京区間之町通り花屋町下る天神町400 主祭神 御本殿…菅原道真公 相殿…文子比売(菅公乳母)、伴氏(菅公御母君)、是善公(菅公御父母) 創建 延喜年間 文子(あやこ)天満宮といいます。 名前が変わってる。 聞いたこと無い神社ですね。 ホンマかいな? と思ったら、ちゃんと石碑に書いてありました。 説明板。 文子(あやこ)とは、菅原道真の乳母である多治比文子(たじひあやこ)に由来する。 菅原道真が太宰府に左遷され失意のうちに亡くなったあと、多治比文子に「われを右近の馬場に祀れ」とお告げがあったという。 しかし、文子は貧しかったので社殿を建立することが出来ず、右京七条二坊の自宅に小さな祠を建て、道真を祀ったという。 これが、当社の起こりという。 その後、天暦元年6月9日(947年)に右近の馬場である北野の地に、朝廷によって道真を祀る北野天満宮が造営された。 文子天満宮の碑。 本殿。 現在の本殿は、大正七年(1918)に造営された。 頭が良くなりますように。 脇には多治比文子が座っていた。 説明板。 境内には、菅原道真の腰掛石がありました。 と言っても、どれ? これです。 カエルみたい。 全国文子会というものがあるそうです。 「ふみこ」さんは入れません。 どんな会なんですかね? 詳しくは、下記HPをご参照。 http://ayakotenmangu.or.jp/custom8.html 天神信仰の発祥の地で、場所が京都にあるので、もっと有名になってもいいはず。 どうも、「多治比文子=天神信仰の発祥」というのが怪しいようです。 確かに、菅原道真のお告げを受けたのは多治比文子のようですが、乳母ではなく少女であったとも。 また、5年後に同様のお告げが、近江国比良宮の神主神良種(みわのよしたね)の子である太郎丸にもあり、それが元になって朝廷により北野天満宮が造営されたらしい。 そのためか、境内は小さく、ひっそりとしていました。 絵馬がいくつかあったので、正月はそれなりに参拝者で賑わうのかも。 受験生にとっては、合格するところが一番。 ここはどうなんでしょうね? |
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2009年12月27日
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