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登城日 2007年5月4日(金)快晴 難易度 ☆ 場所 長野県上田市殿城矢沢 矢沢城は、真田幸隆の弟、矢沢綱頼(頼幸とも)の居城。 綱頼は、諏訪神氏ゆかりの矢沢家を継ぎ、幸隆の子昌幸が上田を領した後はその重臣として活躍した。 昌幸の子幸村(信繁)が越後春日山の上杉景勝に仕えた時は、綱頼の子三十郎頼定が供をしている。 天正13年(1585)上田合戦の折は、三十郎がこの城を守り、八百の守兵で依田源七郎ら千五百の軍勢を退けたという。 後、矢沢氏は真田信之に従って、松代へ移り、矢沢は仙石政勝の領地となった。 (現地説明板より) 矢沢城は、真田郷の南にある。 詳しい地図で見る 詳細図。 矢沢城は公園になっています。 主郭までに数段の郭がありました。 石垣が埋もれています。 帯曲輪の石垣。 あちこちに石垣が残る。 ここにも。 石垣の虎口。 主郭下の曲輪。 二郭には神社が鎮座しています。 主郭の石垣と祠。 主郭。 主郭は北に細長いです。 東はものすごい堀切となっています。 南側を見る。 もう一度主郭の石垣を見る。 矢沢城さようなら。 (おまけ) 帰り道に見た建物。
おや? 民家の入口に建つ建物。 お城みたい。 入口は桝形虎口みたいになっています。 この家もお城みたい。 帰宅後調べてみたら、矢沢陣屋の跡でした。 分知矢沢領仙石氏は、真田氏が松代へ去った後、上田藩主となった仙石忠政の子で政俊の弟政勝をその祖とする。 寛文9年(1669)政俊が隠居するに際し、その領地6万石余の内、2千石を政勝に分知することを願い出て、許可されたのが、仙石氏分知矢沢領のはじまりである。 その村々は矢沢・下郷・赤坂・岩清水・漆戸・小井田・森および林之郷の内(約半分)の8ケ村(いずれも現上田市豊殿地区)であった。 領主の館としての陣屋は矢沢におかれたが、旗本である仙石氏は江戸に常住し知行所へ来ることはほとんどなく、代官をおいて支配した。 2代め以降は、政因、政啓、政寅、政和、政寿と継いで、7代政相のとき明治維新を迎える。 大名であった本家の仙石氏は、宝永3年(1706)出石に移封されてしまうが、その分家の旗本仙石氏による矢沢領支配は、明治にまでおよんだのである。 (このとき仙石氏は、そばを出石に持っていったので、但馬の出石では皿そばが名物になりました。) |
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2009年04月27日
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