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所在地 東京都世田谷区若林4丁目35-1 主祭神 吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰) 創建 明治15年(1882) 吉田松陰の墓所に鎮座する神社です。 生誕地である山口県萩市にもあります。 詳しい地図で見る 三軒茶屋から東急世田谷線に乗って行きます。 松陰神社前で下車。 松陰神社通り商店街を北へ。 通りには長州藩士の説明板が貼ってあるので、歩きながら勉強出来ます。 約5分で神社へ到着。
説明板。
鳥居。【松陰神社】 明治15年長州藩士吉田松陰の霊をまつる。 この地は同藩主毛利大膳大夫の抱屋敷であったので俗に大夫山と呼ばれた。 松陰は安政3年(1856)長州萩において松下村塾(鳥居脇にあるのはその模したもの)を開いて高杉晋作、伊藤博文ら多くの子弟を薫陶し、かれらに大きな影響を与えたのである。 松陰は安政大獄のときに処刑されたが、後、ひそかに頼三樹三郎らと共に、神苑の西方老松楓樹のもとに葬られた。 昭和60年3月 世田谷区教育委員会 ここにも説明板がありました。 【松陰神社】 ご祭神 吉田寅次郎藤原矩方命 (吉田松陰 先生) 松陰先生は、幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成し遂げた多くの若者を教育しました。 しかし、安政の大獄に連座し江戸の伝馬町の獄中にて三十歳の若さで刑死されました。 その四年後の文久3年(1863)に、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって、当時長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬されました。 明治15年(1882)11月松陰先生門下の人々が相談し、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り神社が創建されました。 神楽殿。 手水舎。 裏にある松陰神社道の道標。 説明板。 脇には松陰先生がおられます。 (こんな目立たないところにいなくてもいいのでは) 向かいには徳富蘇峰植樹の碑。 説明板。 社殿前には石燈籠が建ち並ぶ。 説明板。 石燈籠は毛利一族や伊藤博文らによってに寄進されたものと云う。 参道を振り返る。 社殿で一応お参り。 吉田松陰に何をお参りするのかな? 社殿の東側には松下村塾のレプリカが造られています。 萩まで行けない人は、ここで見て行ったことにすることが出来ます。 説明板。 ここに吉田松陰の墓所があります。 説明板。 最後に御朱印。 松陰神社の近くに、井伊直弼の墓がある豪徳寺があるのはいかがなものでしょうか? (おまけ) 松陰神社の脇に第11・13・15代内閣総理大臣桂太郎の墓所があります。 説明板。 その隣には、国士舘大学があります。 そして、南側には世田谷区役所。 最寄駅は「松陰神社前」なのですが、下車する人は世田谷区役所へ行く人の方が多いはず。 「世田谷区役所前」に駅名を変えて欲しいです。 (いつも下車する時戸惑うので) お決まりのマンホール… では無く、排水溝の蓋。 さぎそうでした。 さぎそうについては、以前奥沢城の記事でご紹介いたしました。 最後に、言い忘れましたが、松陰神社には門限があります。 何と、17時に閉まってしまいます。 参拝時にはご注意を! |
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