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登城日 3回目 2010年 8月 5日(木)晴 難易度 ☆ 場所 熊本県熊本市本丸 100名城スタンプラリーのため訪れた3年前には無かった本丸御殿を見に再び行ってきました。 3年前は100名城スタンプラリーの2城目。 あれから、城の見方が大分解ってきました! まずは全体を見渡さないと… 加藤清正公と熊本城。 今日は何処から入ろうかなぁ〜 前回閉まっていた不開門から入城。 ここで100名城スタンプ再Get。 平櫓と高石垣。 振り返る。 開け〜ゴマ! で、開いてしまった不開門から入城。 【不開門(重要文化財)】 古くから丑寅(東北)の方角は鬼門と呼ばれ、不浄の気の出入りするところと考えられてきた。 築城にあたっても、この方角は塞いでも開け放ってもいけないとされ、門は造るが通常は閉鎖されていた。 そこから、不開門と呼ばれ、死人や不浄物の排出時にだけ用いられたという。 この門の形式は、両側の石垣の上に櫓を渡し開けて、その下が門となった櫓門で、要衝に配置されていた。 復元された「西大手門」「南大手門」も同じ形式である。 往時の熊本城では、十八箇所に櫓門が造られていたが、江戸時代そのままに現存するのは、この「不開門」のみとなっている。 昭和8年(1933)に国宝となり、戦後は文化財保護法の施行により重要文化財に指定されている。 熊本市 貴重な門を裏からもう一回。 五間櫓と北十八間櫓。 東十八間櫓。 【熊本城の平櫓(五間櫓・北十八間櫓・東十八間櫓)】 熊本城が築城された慶長年間(1596〜1614)櫓49、櫓門18、城門29がそびえていたが、明治10年(1877)西南戦争勃発直前の火災により大半を焼失した。 現在、熊本城には焼失をまぬがれた13の建造物があり国の重要文化財に指定されている。 櫓は武器・武具などの倉として使用され、戦時には兵の駐屯所にも当てられた。 熊本市 しかし、眩暈がするくらい複雑な造りですね。 本丸へ向かいます。 前回はこんなもの無かった… 本格的になって来ました。 ウワサの闇り通路を抜ける。 強度補強のためのセメントが目立つ。 抜けると大天守が見えました。 今日は目的では無いのでパスしました。 (もったいな〜い) いざ、本丸御殿へ。 案内図。 復元模型も置いてあります。 大御台所。 天井。 煙が抜けるようになっている。 数々の部屋が並んでいる。 大広間椽ヶ輪(えんがわ)。 説明。 大広間南側、露地。 若松之間、奥に昭君の間。 昭君の間。 一大名の部屋とは思えない豪華さ。 本丸はこれでおしまい。 また、闇り通路を抜けて、今度は宇土櫓経由で帰る。 闇り通路を抜けると、いきなり「これでもかー」と大天守が威圧。 戦意喪失します。 宇土櫓。 こちらもパス。 (もったいな〜い) 本丸をチラチラ見ながら下城。 地図石、撮ったつもりが無かった(涙) 二様の石垣と大天守。 飯田丸五階櫓。 こちらもパス。 (もったいな〜い) ここにも五階櫓が建っていたと云う。 ゆくゆくは全部復元されて、こんなことになっちゃうらしい… (恐ろしいことです。) 須戸口門から出る。 遠路はるばるやって来て、たった1時間しか本丸を見る時間が無かったので駆け足になってしまった。 当然、一口城主になることも無かった。 今度、何か復元されたらまた来ようと思う。 いつも真夏なので、銀杏の色づく季節にでも来てみたい。 (おまけ) ここは、九州電気事業発祥の地でもあります。 説明板。 【九州の電気事業発祥の地】 (熊本電燈株式会社跡地) 九州で最初に電気事業を開始した熊本電燈株式会社は、第九国立銀行頭取三淵静逸の発意で明治22年(1889)12月進歩銀行頭取河野政次郎を代表として、太田黒一貫、中村才馬、松尾鶴男、藤井安俊の四名が発起人総代となり、資本金七万五千円、総株数三千株で設立されました。 同社は明治24年(1891)7月1日、熊本城内の当地に石炭火力発電所を建設。 出力12.5kwのエジソン型直流発電機2台で周辺に電灯をともし、これが九州の電気事業の草分けとなりました。 なお、熊本電燈株式会社は以後幾多の変遷を経て、今日の九州電力いなりました。 平成3年は九州に、しかも熊本に電灯がともって100周年であり、その足跡を偲んで、ここに九州の電気事業発祥を記念します。 熊本市 市役所前にある清正の兜。
芋櫓。 本丸にしか売っていない。 おいしかったです。 |
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