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2011年 2月26日(土)晴 早春の2月に満開になる河津桜を見に行ってきました。 最寄駅は伊豆急河津駅。 伊豆急8000系電車は東急からの譲受車両。 背後に見えるのは河津城。 まずは駅を出て北へ。 河津城へ向かいました。 ハイキングコース案内板。 河津桜の説明板。 駅前の桜を過ぎしばらくして左折。 伊豆急のガードを潜る。 ガードを過ぎた所に案内標識あり、右折。 ここは右側を進んで行く。 しばらく進むと風景はがらりと変わり竹藪となる。 少し登った所にある分岐点。 右へ行くと、今井浜や片瀬山(通行止)へ。 左へ進む。 ここに個人の方が建てた説明板がある。 【河津城跡】 この城山の山頂には、古の城・河津城があったと伝えられています。 河津城は足利氏の血を引く蔭山勘解由により築かれた砦だと言われています。 言い伝えによれば、延徳3年(1491)の戦で、北条早雲の伊豆攻略軍に山のふもとから火攻めを受けたそうです。 燃え盛る火の手を防ごうにも山頂の城には水はなく、思いあぐねて大量の兵糧米を山頂から火の海めがけ流しだし、火を消そうとしました。 しかし、山肌をなめるように追い来る炎をとうとう消し止められず、落城してしまいました。 今でも城山の山頂では、昔の名残として焼けた米を拾うことができます。 また、昔からこの辺りでは、焼米を牛馬に食べさせると病気をしないという言い伝えがあり、牛馬を飼っている人は焼米を城山まで拾いに来て食べさせたといわれています。 平成21年3月吉日 鎌倉市在住 ○○○○寄贈 さらに竹藪を進む。 やがて視界が開けた。 片瀬山と相模湾が見えました。 冠木門。 ここから二の曲輪。 縄張図。 ここにも説明板。 河津浜を見下ろす。 一の曲輪へ。 石垣は後世のもの。 一の曲輪。 米俵は焼米の話から置かれているのかな。 しかし、水が無いのに大量の兵糧を備蓄してどうやって食べたのだろう。 標高180.9m。 一の曲輪の北は急斜面となっているが、眼下に曲輪が見えた。 しかし、柵を越えて行く勇気が無かった… 一の曲輪から二の曲輪を見下ろす。 眼下に見える河津の町並み。 角館城から見下ろした時と同じように川沿いの長い桜並木が見えました。 河津城を後にして桜並木へ向かいました。 足元を見てみましたが、焼米は見つけられなかった。 麓から河津城を見上げる。 桜の木があるので、この時期は結構目立ちます。 河津川の上流を目指します。 かじやの桜。 飯田家の河津桜原木。 説明板。 【河津原木物語】 昭和30年頃の2月のある日、この家の主であった飯田勝美氏が河津川沿い(豊水橋上流の田中地区側)の冬枯れの雑草の中で芽吹いていた約1mに育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えた事が始まりでした。 約10年後の昭和41年1月下旬、やっと花が咲き始めました。 同年4月、主の勝美氏は花が咲くのを見届け、永眠しました。 その後きれいに咲く桜を見て譲ってほしいという話もありましたが、思い出の桜のため手放さなかったそうです。 当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ親しまれていました。 その後の調査で新種の桜とわかり昭和49年には河津で生まれた桜であることから「河津桜」と命名され、昭和50年4月に河津町の木に指定されました。 (飯田ひでさん談) 原木の大きさ 木高 約10m 樹幅 約10m 幹周 約115cm 開花時期 1月下旬から3月上旬 河津桜はオオシマサクラ系とカンヒサクラ系の自然交配種と推定されます。 |
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