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登城日 2012年 4月28日(土)晴 難易度 ☆☆ 場所 富山県高岡市福岡町加茂 寛正元年(1461)、赤松政則が畠山義就追討のため高畠の鴨城に入る。鴨城への最寄駅はJR北陸本線福岡駅。 外国人が九州の福岡と間違えてやって来たとの逸話が残る。 福岡は菅笠で有名らしい。 お待堂は売店兼観光案内所であるが、無愛想だった。 福岡はつくりものの町でもある。 駅前を真直ぐ歩き、壁画の所で、 北国街道と交差。 さらに進むと岸渡川。 桜の名所なのですが… もうちょっと早ければ。 今年は桜をじっくり見ることが出来なかった。 名残惜しいなぁ〜 小矢部川を渡る。 渡った所は三日市。 少し進むと鴨城のあるカモ山と元取山が見えてきました。 麓に到着。 鴨城址周辺案内図。 鴨城説明板。 高岡市指定史跡 【鴨城跡】 昭和12年11月27日指定 この城跡は、加茂集落の背後にある標高154.6mの山上に位置しています。 主郭は、平坦地南西隅にある小高い部分と考えられています。 主郭を含む平坦部のまわりは、切岸が巡り、西側には約40mにわたる空堀が設けられています。 また、城の西にある元取山には、関連施設と考えられる元取山砦が設けられています。 この城跡に関係する史料のうち、『二宮円阿軍忠状』には、貞治元年(1363)3月13日、桃井直常の討伐軍に参加した二宮氏が「鴨城衆」を命じられ、同年5月12日には、「鴨城衆」とともに頭高城を焼き払ったと記録されています。 また、『雲龍寺開山由来記』は、長禄年間(1457〜1460)加賀半国守護赤松政則が五位庄高畑村(加茂)の上、城ヶ平と称する地に居住したと記し、延徳3年(1491)冷泉為広の『越後下向日記』は、「カモ山のフタツ城」を記録しています。 こうした史料と縄張りの形態を合わせて考えると、この城は14世紀中頃〜15世紀末にかけて使用されたことが推定されます。 高岡市教育委員会 散策案内図。
元取山山頂と麓の鳥倉集会所の所にあります。 麓に居住されている方が親切にアドバイスしてくれました。 と言っても、ここから先は自己責任。 右、加茂横穴墓群・鴨城。 左、雲龍寺石塔・袋谷の滝。 ます、左へ。 舗装された道はすぐに途切れてしまう。 雲龍寺供養塔。 説明板。 雲龍寺は、長禄3年(1459)に赤松政則が龍淵寺(埼玉県熊谷市、「のぼうの城」で有名になった成田氏の菩提寺)四世以州和尚を招き建立したと云う。 (康生元年(1455)生まれの赤松政則は当時4歳だと思うのですが…) 中の説明板には、当地守護職の赤松政則が永正年間(1504〜1520)に建立したと書いてある。 (播磨・備前・美作守護の赤松政則は明応5年(1496)に亡くなったといわれれているのですが…) 石塔の奥に袋谷の滝。 ここからも鴨城へ登れるそうですが… 戻って、やはり右から登る。 急坂をしばらく進むとあちこちに穴ぼこが。 麓の説明板。 出土品の一部は、東京国立博物館が所蔵。 覗いてみる。 ちょっと登って一休み。 ここから少しなだらかな地形。 七曲がり坂との合流地点。 ここから鴨城笹百合街道を進む。 6月〜7月に来るときれいに咲いているのかな。 少し急な斜面を登ると、 にらみ山砦。 縄張図。 随所に建っているのがウレシイ。 土橋のような地形の尾根を進む。 虎口があったのかな。 また縄張図。 鴨城の北側には空堀が廻る。 (空堀は後ほど。) 赤丸城が見えました。 (赤丸城のある城ヶ平に赤松政則が居住していたとも。) 登ると二の丸。 なだらかな斜面の平坦地を進む。 カモ山の頂上が見えてきました。 石楠花? 二の丸を振り返る。 城っぽくない。 鴨城本丸に到着。 (つづく) |
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2012年06月09日
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