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所在地 兵庫県西宮市名塩木之元21-1 山号 天徳山 宗派 西山浄土宗 本尊 木ノ元地蔵 創建 室町時代 開基 赤松円心則村 木元寺へは、阪急宝塚駅前から阪急バスに乗って行きます。 最寄バス停は木ノ元。 バス停からちょっと南へ戻ると参道がある。 参道途中の燈籠。 参道脇から見た木元寺。 居館のような境内。 境内入り口。 「日本三躰ノ一 木ノ元地蔵尊」と書かれた碑が建つ。 紀伊の木ノ本、近江の木之本地蔵尊とともに、聖徳太子が鎮護国家のため一本で三体の地蔵尊を刻み三か所に納めた日本三体地蔵尊の一つと伝わる。 本堂は境内のもう一段高い所にある。 「鏡」 本堂。 本尊である木ノ元地蔵は、天正年間(1573〜91)に同寺が火災にあった時、火の中から一部を焼けた状態で運び出されたことから、焼(やけ)地蔵とも称される。 また、近隣で火災が起こった際、衣の袖で赤ん坊にふりかかる炎を懸命に払ったおかげで赤ん坊はやけどひとつせずに助けられましたが、木ノ元地蔵はやけどを負ったとも。 木ノ元地蔵の頬と左の衣に傷跡が残っているという。 こうしたことから火伏地蔵とも呼ばれて信仰されている。 隣の観音堂(元堂)。 元はご本尊木ノ元地蔵尊を祀っていた堂。 現在は千手観音菩薩像を安置。 観音堂の奥に社務所があるのですが… 誰もいなかった。 由緒書や御朱印貰えず残念。 本堂と観音堂の間を進むと、 本堂裏に不動明王が祀られている。 「なうまくさんまんだ、ばざらだん、せんだん、まかろしやだ、そわたやうんたらた、かんまん」 不動明王を後にする。 本堂北側の阿弥陀堂。 その奥に鎮座する木の元八幡神社。 小正月には左義長(とんど)と呼ばれる火祭りが行われるそうです。 本堂へ戻る。 そして、境内にある十三重の塔。 赤松満政の供養塔と伝わる。 赤松満政は、播磨守護赤松満祐のいとこで、庶流大河内赤松家当主。 足利義教の近習として仕え、赤松氏惣領の座を狙っていた。 嘉吉元年(1441)6月に嘉吉の乱が勃発すると、播磨・美作・備前の守護職を獲得すべく赤松氏討伐軍に加わる。 城山城攻略に参加し、乱鎮定後最大の功労者であった山名持豊(宗全)と播磨守護職の座をめぐって激しく争った。 しかし、後ろ盾であった足利義教を失ったことから軍配は山名持豊に上がり、赤松氏の旧領はほぼ山名氏が獲得し、赤松満政は東播磨三郡(明石・加東・美嚢)の分郡守護を獲得するに留まった。 さらに、室町幕府の実力者であった山名持豊が播磨全体の掌握を目指し幕府に働きかけた結果、文安元年(1444)1月には東播磨三郡すら取り上げられ山名持豊に与えられてしまった。 10月、分郡守護の座を失ってしまった満政は、満祐の甥である赤松則尚と共に播磨に下り、実力行使で播磨を取り返すべく山名氏と戦う。 しかし、翌文安2年(1445)1月には赤松満政追討の治罰綸旨が下りるなど形勢はますます不利となり、3月に寝返った従兄弟の有馬(赤松)持家によって討たれたと云う。 または、最期は討たれたのではなく木ノ元の山中まで逃れ一族郎党124人と共に自害したとも。赤松氏惣領の座をめぐって争っているうちに、鳶に油揚げをさらわれる結果となってしまった。 |
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2012年02月01日
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