名所旧跡関連
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場所 長崎県長崎市伊良林2-7-24 日本初のカンパニーです。 詳しい地図で見る 元治元年(1864)、勝海舟に同行し坂本龍馬は長崎を訪れた。 初めて上陸したのは島原だったと云う。 島原も「龍馬」に湧いていた。 薩摩藩の援助を得て、日本初のカンパニーである亀山社中が結成された。 亀山社中の間取り。 15名以上の隊士らが、こんな狭い中にいたのかと驚く。 亀山社中跡は、長崎市亀山社中記念館となっている。 展示品の龍馬の紋服とブーツ。 坂本龍馬立像と月琴、ピストル、日本刀「陸奥守吉行」。 他にも、海援隊ゆかりの品々等が展示されているが、この狭い館内に隊士以上の人数の観光客が入れ替わり立ち替わりでごった返して、とてもゆっくり見れる状況では無かった。 亀山社中跡前にあるブーツ像。 説明板。 恥ずかしくて足を入れることは出来なかった。 約2年間、亀山社中はここを拠点に活動した。 その後、土佐藩の外郭団体「海援隊」へと発展する。 それにしても、海の男たちがこんな山の上に拠点を構えざるを得なかったとは… (おまけ) 長崎市のマンホール。 市花のアジサイの真ん中に市章の五芒星がデザインされている。 市内に一カ所だけ六芒星のマンホールがある。 どうしてこうなったのかは不明だそうですが、魔除けの意味であえて残してあるとか。 |
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場所 福井県敦賀市松島町 天狗党の乱の首領、武田耕雲斎の最期の地です。 詳しい地図で見る 最寄駅のJR敦賀駅から徒歩30分くらいの所にあります。 入口には「武田耕雲斎等の墓」の標識が建っています。 お墓への道。 説明板。 武田耕雲斎は悲劇のヒーローと称されています。 案内板。 反対側の松原神社境内に、水戸烈士が収容されていたニシン蔵が移築現存している。 見落としました。 石柱には「武田耕雲斎等ゆかりの地」と刻まれています。 説明板。 【武田耕雲斎等墓】 元治元年十月、水戸藩士武田耕雲斎の党は、尊攘の大義を唱え西上途次越前に入り、十二月敦賀郡新保宿にて大雪に遭い幕府の軍門に降れり。 翌年二月、幕府は耕雲斎以下353名を斬首せり。 今此の墓地は当時の刑場にして遺骸を埋めて土盛り、方十二間高さ八尺西面して十五基の墓が建てられている。 昭和9年12月28日文部省より著名なる人物の墓として256坪の地域を史蹟に指定され、現状の変更樹木の伐採は出来ない様保護されている。 敦賀水戸烈士遺徳顕彰会 うぁー 水戸烈士の墓。 幾度の変遷により墓は一つに纏められ今日に至る。 まずは墓参。 中央が武田耕雲斎の墓。 なぁむぅ〜 墓石の裏に小高い丘が築かれている。 墓参時に墓の頂上を踏まないようにとの配慮らしい。 墓の前の史蹟碑。 引いて見る。 武田耕雲斎。 甲斐源氏跡部氏という。 水戸藩の藩政に参与、徳川斉昭の藩政を支えた。 斉昭の死後水戸藩は混乱し、やがて過激な尊王攘夷派である天狗党の首領に担ぎ出されてしまったと云う。 消極的なところが悲劇のヒーローたる由縁か。 詳しい説明は、灯籠にあるスイッチを押すと聞けます。 大音量のスピーカーから出る解説がちょっとハズカシイ。 武田耕雲斎のことも、天狗党のことも全く知りませんでしたが、ちょっとだけ解ったような気がしました。 ここで、武田耕雲斎の辞世の句を御紹介します。 「討つもはた討たれるもはた哀れなり 同じ日本の乱れとおもえば」 民主党代表選を争っている2人に聞かせてやりたい。 (おまけ) 敦賀市元町の本勝寺。 水戸烈士が幽閉された3ヶ所の寺の一つ。 |
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場所 長崎県長崎市南山手町8番1号 貿易商であり、グラバー商会を設立したトーマス・ブレーク・グラバーが住んでいたところです。 詳しい地図で見る 大浦海岸通りに面する旧香港上海銀行長崎支店脇のグラバー通りの坂道。 土産物屋が建ち並びます。 登った所の正面に大浦天主堂があります。 内部は撮影禁止。 日本最古の木造ゴシック建築で国宝です。 素晴らしい! 大浦天主堂の脇にグラバー邸があります。 今は、他の西洋館を集めてグラバー園となり、一般公開されています。 入口まではエスカレーターに乗って行きます。 楽に登れます。 グラバー邸。 文久3年(1863)に建てられた、日本最古の木造西洋風建築。 正面玄関を設けないクローバー型の形をしています。 国の重要文化財。 かつては、家の中から木が突き抜けていた。 木は枯れてしまったのかな? 庭にはハート型の石が埋め込まれている。 この石に触れると恋愛が成就するとか… グラバー像。 幕末の日本で活躍したスコットランド出身の貿易商。 明治維新後は武器が売れなくなりグラバー商会は倒産。 その後、三菱の相談役となり、キリンビールの基礎を築くなどした。 園内にはいくつかの西洋館があります。 旧リンガー邸。 これも、国の重要文化財。 旧オルト住宅も国の重要文化財ですが、撮り忘れてしまった。 旧三菱第2ドックハウス。 園内の一番の高い所にある。 園内の他の見所。 外国人居留地の境界を示す碑。 西洋料理発祥の地でもあります。 帰りは長崎伝統芸能館を通って出ると、大浦天主堂下に戻ります。 「長崎くんち」の飾りが展示されています。 幕末の志士たちが出入りしたグラバー邸でした。 (おまけ) 大浦天主堂前にはカトリック大浦教会があります。 地下が土産物屋になっている変わった教会です。 グラバー通りを挟んで東側にあるのが、カステラ神社。 カステラ大明神が祀ってあります。 お参りしたら、さっそく便乗商品を試食。 可もなく不可もなくだった。 びわソフト。 びわは、長崎県が全国の3分の1を生産する特産品。 こちらの方がおいしかった。 大浦天主堂脇の祈念坂を登る。 あまりの急坂に、祈念している余裕が無かった… 坂を登ると東山手が一望。 帰りはグラバースカイロードに乗って下山。 斜めのエレベーターである。 長崎を『さるく』する時は、このような地図が約50枚くらいあるので、参考にするとよい。 観光施設に置いてあります。 路面電車に乗って次の目的地へ。 逆の道順の方が楽だったなぁ〜 |
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下田龍馬。 伊豆急リゾート21で到着。 (黒船号という真っ黒なボディーに下田龍馬伝のヘッドマークを付けた車体があるのですが、すれ違ってばかりで帰りも乗れなかった。) 龍馬飛翔の地と云う。 ここも、駅へ着いた途端、龍馬一色… 龍馬くん地蔵がお出迎え。 拳をなでると幸運が? 駅前の黒船龍馬。 地図を見ても今一つ何処へ行ったらいいのか解らない。 冠木門があったので行ってみる。 香煎通りと云う名だそうです。 こうせん塚。 喉にご利益があると云う。 香煎通りの突き当りを左へ曲がり大通りを進むと新田御陣屋跡の碑が建っています。 碑の側面に説明文が書いてあるのですが、あまりにも石がピカピカで眩しくて読めなかった。 碑の横に立っているのは春水の松。 唐人お吉を世に知らしめた村松春水の邸宅跡でもあると云う。 すっかり龍馬を見失ったと思ったら… 宝福寺にいました。 所在地 静岡県下田市1-18-26 山号 八幡山 宗派 浄土真宗 本尊 阿弥陀如来 創建 永禄2年(1559) 開基 権大僧都了善 宝福龍馬。 木造龍馬。 チェンソーで彫ったそうです。 何だか… 本堂でお参り。 ここは、幕末の下田奉行所跡でもある。 唐人お吉? 映画にもなったそうです。 龍馬と同じ時代の人ですが、全く知らなかった。 お吉の墓。 女優水谷八重子他が建てたもの。 元のお墓はこちら。 お吉の簡単な説明。 合掌。 座ると長生きするという。 この記念館の一画に勝海舟が山内容堂に謁見した間が残されている。 ここで、勝海舟が山内容堂に龍馬脱藩の罪の許しを請い認められたと云う。 ひょうたん、白扇、かつての謁見の間全景。 龍馬が来たわけでは無かった… 次へ向かう。 というものの何処へ行ったらいいのか、また観光地図で確認。 カノン砲と錨。 黒船花壇。 下田市中央公民館へ行く。 ここは、吉田松陰が黒船に密航しようとして捕えられ拘禁された所と云う。 開国博物館。 入場料が高めだが開国の歴史を勉強出来ます。 了仙寺。 所在地 静岡県下田市七軒町3-12-12 山号 法順山 宗派 日蓮宗 本尊 十界曼荼羅 創建 寛文12年(1635) 開基 権大僧都了善 安政1年(1854)5月この場所で日米和親条約が締結された。 近代日本発祥之地の碑が建っています。 この寺は別名ジャスミン寺ともいう。 ここの宝物館は必見です。 ペリーロードを東へ。 長楽寺。 この寺で日露和親条約が締結された。 また大砲発見! 龍馬はいずこに? 元気が出るイスで一休み。 ペリー上陸地。 下田は日本最初の開港地である。 下田公園の開国記念碑。 まちなかへ戻る。 明治時代の郵便ポストを発見! その近くにいたまちなか龍馬。 まちなかには海鼠壁の建物が何軒か見られた。 駅以外は、龍馬、龍馬と言う程では無かった。 やはり、黒船かな。 |





