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長崎龍馬。 長崎県出身のこのお方のお陰で、さらに盛り上がる。 しかし、かっこいいですね〜 駅へ着いた途端、龍馬一色… まず、観光通りへ向かう。 長崎まちなか龍馬館前で、ランタン龍馬がお出迎え。 背後には、月琴を持ったランタンお龍。 小曽根邸滞在中に月琴を習ったことに由来する。 まちなか龍馬。 思案橋へ向かう。 花街・丸山への通り沿いの街頭灯に飾られている、シダックス龍馬。 丸山公園の丸山龍馬。 三種の神器(ピストル・懐中時計・ブーツ)を身につけている。 眼鏡橋の架かる中島川へ向かう。 袋橋近くにある上野龍馬。 ここから幣振坂の約500段の階段を登り、風頭公園へ向かう。 風頭龍馬。 この像が一番実像に近いとか。 背後には海援隊旗が翻る。 この像の原型となった像が、近くの若宮稲荷神社にあったそうだが、見落としてしまった(涙) 亀山社中へ向かう通りは「龍馬通り」 亀山龍馬がお出迎え。 こんな龍馬が道案内。 日本初のカンパニー、亀山社中の跡。 亀山社中の前には、龍馬のブーツ像がある。 坂を下る。 長崎歴史文化博物館の中にいる奉行所龍馬。 隣りは岩崎弥太郎。 この施設の建築に三菱の資本が入っているのでしょうか? この他にも龍馬像があったらしい。 龍馬、龍馬、龍馬… 岡田以蔵の声が聞こえてきそう。 ところで明日、原爆投下から65回目の夏を迎える。 爆心地は長崎電鉄松山町電停近くである。 公園には被爆当時の地層が保存されている。 地層の中には、瓦やレンガ他多量の物が壊れて埋没している。 公園の北側には、長崎刑務所浦上刑務支所があった。 ここあたりを中心に一面焼け野原になってしまった。 原爆によって側壁を僅かに残すのみとなってしまった。 爆心地から南に行った所に鎮座する山王神社 所在地 長崎市坂本2丁目6番56号 主祭神 大國主命・大山昨命・大年命 創建 寛永15年(1638) 御由緒。 よって、「被爆クスノキ」と呼ばれ、蘇った大楠に直接手を触れその生命力にあやかろうと多くの参拝者の方が訪れるという。 本殿は工事中でお参り出来なかった… 参道に立つ二の鳥居。 原爆被災で一本になってしまった。 吹き飛ばされた部分の説明。 参道入口(坂のずっと先)に立っていた一の鳥居は、原爆被災にもかかわらずほぼ原形のままで建っていたそうですが、昭和37年にトラックが突っ込んでしまって倒壊してしまったそうです。 限界だったのでしょうか。 何故、原爆に被災した長崎に史跡が残っているのか、行ってみて場所や地形を見て解りました。 こちらを訪れる人は比較的少なかったように思いました。 龍馬ばかり見てる場合ではないぜよ。 |
名所旧跡関連
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場所 東京都中央区日本橋小伝馬町5-2 明治維新の精神的指導者である吉田松陰の史跡です。 東京メトロ日比谷線小伝馬町駅近くにあります。 秋葉原寄りの専用エレベーター改札口が近いです。 詳しい地図で見る 通常の改札口を出てしまいました。 出た所に案内板が建っています。 案内板を拡大。 小伝馬町駅付近に江戸時代、伝馬町牢屋敷がありました。 跡地に碑が建っています。 説明板。 伝馬町牢屋敷は、江戸時代、全国最大の牢屋だった。 天正年間(1573〜1591)、常盤橋門外に置かれたのが最初で、延宝5年(1677)にこの地に移され、江戸町奉行の支配となりました。 明治8年(1875)、市ヶ谷囚獄ができて廃止され、牢屋敷跡は十思公園・村雲別院・大安楽寺などになっている。 碑の正面には十思(じっし)公園があります。 十思公園の名前は、明治11年(1878)に十思学校として開校した、十思小学校に併設されたことに由来する。 開校当時の住所が「第一大区第一中学区第十四小区」に所属することから、「十四」を資治通鑑の「十思之疏」の「十思」としたとのことです。 見た目は普通の公園です。 付近のサラリーマンの憩いの場です。 ここにも説明板がありました。 公園の奥に吉田松陰終焉の地を示す碑が建っています。 碑を拡大。 幕末の長州藩士・吉田松陰は、幕府の条約調印に関して閣老間部詮勝の襲撃を謀ったとして捕らえられ、安政6年(1859)、現在の小伝馬町にあった牢屋敷で処刑されてしまいました。 しかし、その志を桂小五郎や高杉晋作らが受け継ぎ、明治維新の大きな原動力となりました。 こちらは、吉田松陰の辞世の句の碑。 「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」 隣の碑は吉田松陰の功績を示す碑かな? 薄くなって読めない。 萩に2回も行ったのに、吉田松陰の史跡を訪ねたこと無かったので、今度行くことがあったら行ってみたいです。 (おまけ) 吉田松陰終焉の地に碑の横にある碑。 杵屋勝三郎歴代記念碑だそうです。 「杵屋」は江戸長唄三味線の家名で、初代は、天保年間(1830〜1844)に武家から出て、一派を創始、二代目が最も著名で、「船弁慶」「連獅子」「時雨西行」「安達ケ原」などの名曲を残しました。 二代目が十思公園に近い馬喰町に住んでいた縁故で碑が建てられました。 石町時の鐘。 説明板。 江戸で最初に設置された時の鐘だそうです。 この鐘は、石町(現在の日本橋室町4丁目付近)にあったもので、高さ1.7m、口径93cmの和鐘です。 十思公園を後にしました。 何と、日本の歴史公園100選に選ばれているとのこと。 (100選と名が付いているが、実際は250選ばれている中の一つです。) 見た目はビルに囲まれた小さな公園でしたが、タダものでは無い公園でした。 |
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場所 東京都大田区南千束2-14-5 洗足池公園の中にあります。 詳しい地図で見る 最寄駅は東急池上線洗足池駅なのですが、乗り換えの都合上、今日は東急大井町線北千束駅から歩きました。 ガードを潜ります。 行きは下りなので、近いです。 帰りは登りなので健脚向きです。 この赤松小学校交差点を右折。 大田区立赤松小学校です。 トットちゃんが通っていた学校です。 ちょっと風変わりなトットちゃんは、僅か1年で自由が丘のトモエ学園へ転校してしまった。 (赤松氏とは関係無いです…) 小学校を過ぎた所を左折。 坂を下ると洗足池公園が見えてきました。 公園の地図。 勝海舟夫妻の墓は公園の東側にあります。 勝海舟夫妻の墓。 説明板。 2人仲良く並んでいます。 隣には勝海舟が西郷隆盛を追慕するために建立した留魂祠。 由緒書。 薄くなって読めない。 横に説明板がある。 (けど、やっぱり解らない。) 勝海舟はこの洗足池の風景を愛したという。 休日にはボートを浮かべる光景を良く見かけます。 付近に川が無いのにどうしてこんな大きな池があるのだろう、と思ったら湧水池なんだそうです。 知らなかったぁ〜 魚が悠然と泳いでいました。 いろんな水生植物も見ることが出来ます。 たまにはぼーっとするのもいいですね。 この洗足池公園の東隣にある大森第六中に勝海舟の別邸(洗足軒)がありました。 説明板。 北洗足駅から洗足池駅まで1kmも無いですが、ちょっとした散歩道です。 (おまけ) どうして、洗足と千束の2つの漢字が使われているのだろう? 洗足軒跡前にある妙福寺 所在地 東京都大田区南千束2-2-7 山号 星頂山 宗派 日蓮宗 本尊 一塔両尊四士(南無妙法蓮華経の七字題目が刻銘された一塔の周りに、釈迦如来・多宝如来の両尊、四菩薩がまつられたもの) 創建 弘安5年(1282年) 開基 持法院日慈 「京都嵯峨野に吹く風は〜♪」 ??? タケノコがたくさん生えていました。 本堂は木に隠れて良く見えない。 境内の奥に一本の松がある。 説明板。 もともとは千束池と云う名だったが、日蓮がこの地で足を洗ったことから洗足池と呼ばれるようになったと云う。 長年の疑問が解決してスッキリしました! 馬頭観世音供養塔 説明板。 この辺りは昔から交通の要衝だったのですね。 洗足池の畔には中原街道改修碑も建てられています。 洗足池には源頼朝が旗揚げした地と云われる千束八幡神社があったのですが、見落としました。 またにします。 |
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場所 静岡市葵区御幸町3-21 先日ご紹介した江戸開城 西郷南州・勝海舟会見之地で江戸無血開城の話し合いが、明治政府代表の西郷隆盛と徳川家代表の勝海舟によりが行われが、その事前交渉が駿府城下で行われた。 会見は、東海道沿いの松崎屋源兵衛宅で行われた。 詳しい地図で見る 跡地はペガサート静岡というショッピングビルになっています。 交渉は、慶応4年(1868)3月9日に、西郷隆盛と山岡鉄舟の間で行われた。 ビルの前に碑が建っています。 説明板。 なお、山岡鉄舟の像は幼少期を過ごした飛騨高山の高山陣屋にあったというが、先日行ったのに見落としてしまった… また、静岡市内には鉄舟寺という寺まであるという。 今度勉強してみます。 (おまけ) 静岡は徳川家康ゆかりの地。 駿府城下を東海道が通っていました。 現在の東海道の様子。 ビルが建ち並んでいます。 ここに、江戸から19番目の宿場町である府中宿がありました。 (自転車やバイクが邪魔だなぁ〜) 上伝馬本陣・脇本陣跡。 府中宿の地図。 府中宿界隈の説明。 下伝馬本陣跡から上伝馬本陣跡方面を見る。 江戸方面を見る。 足元を見ると、大御所家康公駿府城入城400年を記念して設けられたマンホールがあった。 現在の静岡はホビーの街でもある。 お城の模型がたくさん飾ってありました。 デアゴスティーニの安土城は何処まで進んだのだろうか? |
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場所 東京都港区芝5-33-8 都営三田線三田駅のA10番出口を出たところにあるNEC本社。 創業当時はレンガの建物だった。 一部が残っています。 説明板。 ここは、江戸時代には薩摩藩田町藩邸があったところです。 北側の植え込みの中に隠れるように碑が建っています。 NEC本社ビルから少し南に行ったところにある三菱自動車工業本社がある第一田町ビル。 ここに薩摩藩蔵屋敷があり、幕末に明治政府代表の西郷隆盛と徳川家代表の勝海舟による会談が行われ、江戸城の無血開城が取り決められた。 詳しい地図で見る 交渉は、慶応4年(1868)3月13日、14日と2日にわたって行われた。 「江戸城を明け渡すでごわす。」 「よし、明け渡そう!」 第一田町ビルの前には、会見の地であることを示す碑が建っています。 説明板。 当時の付近図。 石碑の後ろ面には「慶応四年三月十四日 此地薩摩邸に於いて 西郷 勝両雄会見し 江戸城開城の円満解決を図り 百万の民を戦火より救ひたるは其の功誠に大なり 平和を愛する吾町民深く感銘し 以て之を奉賛す」と記されていたとか。 見落としました。 この会見によって、人口100万人を超える世界最大規模の都市であった江戸とその住民は戦火に巻き込まれずに済んだのです。 (おまけ) 西郷隆盛の像は上野恩賜公園内にあります。 もう一回西郷隆盛像。 高村光雲作(犬は後藤貞行作)。 近くにあるアメ横。 昔々にTVのCMで「じゅらくよ〜ん」が話題になった聚楽グループの酒亭じゅらく。 噂の西郷丼でごわす! 九州の名物7品(豚角煮、明太子、薩摩芋、博多焼、薩摩揚げ、温泉卵、ホウレン草)を丼にトッピング。 勝海舟の像は、墨田区役所の横にあります。 最寄駅は、東京メトロ銀座線浅草駅です。 詳しい地図で見る 隅田川に架かる吾妻橋対岸に見えるビル。 右から、うんこビ〰ル(アサヒビール吾妻橋ホール)、アサヒビール本社、墨田区役所。 間に、新名所東京スカイツリーが見えました! 春のうららの隅田川♪ 場所が解らない時は、吾妻橋を渡ったところにすみだ観光案内所があります。 吾妻橋を振り返る。 橋の袂にあづま地蔵尊がいらっしゃいました。 墨田公園入口を進む。 ここから150m先にあります。 もう1回勝海舟像。 建立の記。 勝海舟像を見た後は、勝海舟コーナーに寄りましょう! 区役所の一画にあります。 こうやって見ると、龍馬かぶれの武田鉄矢も悪くないなぁ。 勝海舟コーナー。 たったこれだけ。 墨田区なのに、ほとんど葛飾北斎のものばかりでした。 高いですね〜 まだ高くなるのかな? 完成したら行ってみようと思います。 |





