三日月の館

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場所 兵庫県揖保郡太子町黒岡

播磨十水

赤松広秀の歌が残る清水です。

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斑鳩寺のある太子町。
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聖徳太子に由来する太子町の東に桜井清水はある。
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JR姫路駅前から神姫バス「鵤経由竜野行き」に乗り「黒岡」バス停下車。
旧山陽道沿いの、
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竹林の中にあります。
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桜井清水は蓋がしてあって中の様子が見えない。
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説明板。
後に但馬竹田城主となった赤松広秀が詠んだ歌が残る。
「黒岡に行きき人の心あらば 薬ともなれ桜井乃水」
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また飲めなかった
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どんな味がする名水だったんでしょうね。

場所 兵庫県佐用郡佐用町乃井野

播磨十水

三日月陣屋に湧く清水です。

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落葉清水として松か井の水をご紹介しましたが、「落葉清水  - 赤穂郡舟曳ノ庄ノ内ニ在之」という記述と異なる。
この船曳庄は、赤穂郡ではなく佐用郡にあるということで行ってきました。
以前訪城した三日月陣屋
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この陣屋の隣りに鎮座する、森家の藩主や祖先を祀った列祖神社。
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神社境内へ。
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境内の様子。
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境内には寛政年間に建てられた藩校「広業館」の一部が現存。
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境内から陣屋跡を見下ろす。
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復原された陣屋の建物を見下ろす。
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さて、列祖神社の一の鳥居の脇に、
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「落葉清水」があります。
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石碑。
「播磨十水 落葉乃清水」
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石碑裏面。
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往時赤松氏全盛の時、置塩城主二代目赤松義村茶道を嗜み、播磨一圓の清水を募り、其の良質にして茶に適したものを撰びて播磨十水の称を附す。
此の清水も亦其の中の一つなりと云う。

三日月町観光協会

落葉清水。
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中を覗いてみたが見えなかった。
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前回来た時は、木に隠れていて気がつかなかったようだ。
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また飲めなかった
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落葉清水を後にしました。

(おまけ)

三日月駅へ。
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夜の三方里山を望む。
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ロマンチックな三日月マーク。
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あれ〜
星が輝いた!
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なかなか来ない列車の待ち時間も少し短く感じました。

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場所 兵庫県多可郡多可町加美区奥荒田

播磨十水

峠越えの旅人が生き倒れとなった時、この水を飲んで回復したと云う。

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松か井の水は、荒田神社から県道8号線をさらに西へ行った高坂峠にある。
路線バスは走っていません。
峠の途中に新松か井の水公園があります。
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説明板。
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【平成の名水百選 松か井の水】

松か井の水は、室町時代に播磨の国を支配していた赤松義村が定めた「播磨十水」の一つで、昔から地域の名水として人々に愛飲されてきた。
かつて、峠越えの旅人が行き倒れになったところ、この水を飲めば回復したという言い伝えがある。
このような名水が、昭和32年林道工事の際、土砂で泉が埋まり所在が分からなくなり、幻の名水となっていた。
しかし昭和62年の治山工事によって湧き水が出ていることが発見されたのを受け、地元が古文書などの調査と現地確認を行い、30年ぶりに名水がよみがえった。
町は地元・奥荒田地区と協力し、昭和63年に松か井の水の周辺整備を行った。
一方、高坂トンネル工事の際に見つかった湧き水は、より利用しやすいようにと、県が平成13年に新松か井の水公園として整備した。
「松か井の水」、「新松か井の水」とも、今も県内外から多くの人が名水を汲みに訪れている。
奥荒田地区では、「コウゾと名水のむらづくり」の標語のもと、老人クラブ、有志により周辺の清掃活動が積極的に続けられ、名水にふさわしい良好な環境を保っている。

県道8号線新道の高坂トンネル工事の際に発見された湧き水が引き込まれている。
1日の湧水量:30トン。
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たしかに、多くの方が水を汲んでいました。
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「松か井の水」は旧道沿いにあるという。
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行ってみる。
新松か井の水公園から少し峠を下った所に旧道入り口があります。
かなり道が狭いので対向車に注意!
くねくねした道を進むと「松か井の水 この右下」の標識があります。
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少し行った所にスペースがあるので路駐して戻る。
かなり下に「松か井の水」がありました。
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階段が整備されているので、下りは容易に行けます。
これが「松か井の水」です。
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石碑。
松か井の水は、播磨十水の落葉清水らしい。
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説明板。
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播磨十水の内「落葉の清水」
【松か井の水】

播磨十水は永正年間(1504〜1520)播磨を支配していた赤松義村が定めたとされ、狂言で有名な野中の清水など十か所の清水が選ばれ、その一つが「落葉の清水」である。
地誌「播磨鑑」宝暦12年(1762)には、多可郡名所旧跡並びに和歌の欄に
「落葉の清水」…
 松か井荘、播磨十水の内…
 末久に 枝も葉かへす 常盤成
  松の落葉の 清水涼しき…とある。
 (ここから判読困難)

判読困難な箇所に、何故「松か井の水=落葉清水」なのか書かれているようだ。
ここが播磨十水の一つ「落葉清水」だとしたら、赤松義村の代はまだ播磨一円に一定の勢力を保っていたということだろう。
松か井の水を覗いてみると、僅かに湧き水が湧いていました。
昭和63年に周辺整備が行われた「松か井の水」。
近年このように荒れ果ててしまったのであろうか?
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播磨十水で唯一飲用可能な松か井の水を後にしました。
帰りは旧道を元来た東の方向へ戻った方がいいです。
旧道を西へ抜けようとすると、心細い峠道を苦労して進んだ挙げ句に新道との合流点に金網のゲート。
今日は開きましたが、もし開かなかったら大変。
Uターンもし難そうでした。

場所 兵庫県加古川市上荘町井ノ口

播磨十水

元明天皇が衣服を染めるために都へ持ち帰ったとされる名水です。

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公共交通機関で行く人は、JR加古川駅から神姫バス都台行きに乗り「都台口」下車東へ約1km。
車で行く人はみとろフルーツパークを目指すと良い。
まずは、みとろフルーツパークにある加古川ウォーキングセンターで情報収集。
たぶんこれのことではないかと、教えてくれたのが「都染の清水」。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e7/31/kanezane/folder/1510034/img_1510034_61181498_75?1351429541_
みとろフルーツパークを下った所だった。
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しかし、付近へ着いたものの何処か解からない。
ご近所の方に聞いて見ると、畑の中にある繁みが井ノ口清水という。
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2つある繁みの内、下段のお墓が建ち並ぶ方では無く、
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上段の方だそうです。
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かつては説明板も建っていたが、いつしか無くなってしまったとか。
水は枯れ、石の井戸枠だけが残っていると教えてくれましたが、草茫々で確認出来ませんでした。
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【井ノ口清水】

今から1200年ほど前、元明天皇は奈良に都を定められ、新しい国づくりに取りかかられました。
天皇は女帝でありましたから、官衣のつくり方についてもいろいろと心をくだかれましたが、官衣の染色になって困ってしまいました。
それは思いどおりに藍色が出ないのです。
そんなとき「播磨の国、印南の堤というところに、たいへん良い水が出る場所がある。」という神のお告げを聞かれました。
さっそく、天皇の命をうけた家来が播磨の国の教えられたところへやってきました。
すると山のふもとに、清水の湧き出ているところがありました。
その清水を都へ持ち帰り衣を染めてみますと、あざやかな色に染めあがりました。
天皇はたいへんおよろこびになり、
「あいにあう 井の口の清水なかりせば 都の衣 いかに染めなん」
と歌われました。
”都染”の地名は”都染(みやこぞめ)”からきているといわれています。
都染には、それ以後、染物を家業とする家が出来て、江戸時代末期まで続き今も「形屋」とか「紺屋」という屋号が残っていて、その家には染物に使った形紙や壺があるということです。

また飲めなかった
井ノ口清水を後にしました。

場所 神戸市西区岩岡町野中

播磨十水

古今和歌集にも歌われた名水です。

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JR大久保駅前又は神戸市営地下鉄西進中央駅から神姫バス秋田経由のバスに乗り、寺下バス停下車。
北へ少し行った田んぼの中にあります。
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説明板。
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【野中の清水】

氷るとぞ 見しより汲まぬ いなみ野の 野中の水を 埋ずむ白雪  (源義将朝臣 新拾遺集)
立つ止まる 人もなけれど いなみ野の 野中の清水 月は澄みけり (木工権頭為忠朝臣家百首)
 
野中の清水は、古今集の昔から、多くの和歌にも詠まれ、謡曲や狂言にも取り上げられてきた名所です。
中世播磨の守護職、赤松上総介則房の定めた「播磨十水」の一つでもあります。
年久しく荒廃していた清水を、元禄3年(1690)明石藩が、浚湈し、制札を立てて、汚すことを禁じ、藩主は茶の湯に用いたと言われます。
同じ頃、大和屋忠左衛門という酒造家が酒造の水に用い、正徳2年(1712)に「野中清水醸造記」が出来たと伝えられています。
昔は、清水の周り一帯は松林で、その中に、祖父松、祖母松、夜啼松という名木が三株あったといいます。
中でも夜啼松の樹皮を削り煎じて、幼児に飲ませると、夜啼きが止むという伝説もありました。
魚住の泊りから、播磨内陸部の三木、小野等へ、この瀬戸川沿いの道を通る旅人は、いなみ野の荒野で、清冽なこの泉で渇きを癒し、涼を取ったことでしょう。
明治、大正期にも、地域の先達が清水の浚湈保存に努めてきましたが、この度、地域住民と、神戸市教育委員会のご尽力により、湧水による野中の清水の復元整備が、平成8年12月吉日に完成しました。
いにしえを偲ぶ憩いの場として、多くの市民に訪れていただきたいと願っております。

野中自治会

地域の方のご尽力により公園として整備されています。
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説明板と碑。
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そして、野中の清水。
花垣清水でご紹介した藤原俊成女(越部禅尼)も京から越部庄へ下る際立ち寄ったとか。
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反対側には碑。
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琵琶の形の池?
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水はここからも湧いていた。
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説明板。
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【野中の清水】

いにしへの 野中清水 ぬるけれど もとの心を 知る人ぞくむ(古今和歌集)

野中清水は我が国の五清水の一つである野中下村という小村に在り、琵琶の形に似て水は澄きり、仁徳帝のとき、この水で難病を癒したという。
千年の歳月が過ぎ、土石に埋もれていたもの。
大正天皇即位の年に、岩岡郷土の先達つどい、久しく浚湈し、後世にいにしえを伝える。

「野中清水浚湈記」碑より

平成8年 野中の清水の復元工事が完成する
    (昔の湧水を汲み上げいにしえの清水を再現)
平成9年 神戸市地域史跡に認定された

[いにしえの名水に手を触れて下さい]
(この水は飲み水ではありません けっして飲まないで下さい)

平成17年11月
野中の清水を守る会
(野中自治会・地域住民ボランティア)

また飲めなかった
野中清水を後にしました。


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