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場所 東京都品川区北品川3丁目 昨日ご紹介した品川神社の裏に、板垣退助が永眠しています。 もともとは東海寺の塔頭の一つである高源院の境内にあったのですが、高源院は世田谷区北烏山に移転してしまい、墓だけが残りました。 跡地は城南中学校となっています。 神社の裏手にひっそりと建つ板垣退助一族の墓。 説明板。 墓の脇には、佐藤栄作の筆による「板垣死すとも自由は死せず」の碑が建つ。 岐阜公園に立つ板垣退助。 明治15年4月6日午後1時、暴漢に襲われ胸を刺された。 この時、この有名な言葉を残した。 こんな所で眠っていたとは。 意外でした。 |
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今更なんですが、この方って一体何をしたんでしょうかね?
2010/2/4(木) 午後 10:42
月の輪殿さん、板垣退助のお墓は品川神社の裏にあるんですね。確か、高知城の三の丸にも銅像があった記憶がありますが、違ったかな(^^;
それにしても意外なところにありますね〜 WP行きますね!
2010/2/5(金) 午前 1:06
大納言殿
坂本龍馬や中岡慎太郎が亡くなったので、繰り上がりで土佐を代表する政治家になったのでしょうか。
2010/2/5(金) 午後 9:46
Shaneさん
高知城に銅像が、県内に墓所があります。
ここは本人の遺言で墓所になったとか。
本当かどうか。
佐藤栄作の石碑があるので、本当っぽいですが。
2010/2/5(金) 午後 9:48
薩摩の西郷・大久保、長州の伊藤・山縣に比べると、板垣は一体何をしたのか、どうして百円札の肖像画に選ばれたのか謎が多い人物のように思えるのですが・・・
2010/2/5(金) 午後 10:03
良く解りませんが、バランスではないでしょうか。
2010/2/5(金) 午後 11:09
内緒さん
ありがとうございます!
2010/2/6(土) 午前 9:50
故郷じゃなく、東京にあったんですね!
遺言で残すって、この地の思いが強いんですね^^
2010/2/11(木) 午前 4:36
おしょうさん
やはり最後は新政府で活躍した(?)この地に思い入れがあったのでは。
2010/2/11(木) 午前 9:58
月の輪殿さん、TB有難うございました〜 この高台から、昔は海が見えた風光明媚なところだったそうなので、それも関係しているのでしょうか?
山内容堂のお墓も近くの高台にありますよね^^
目の前の学校の校舎はもう出来上がってましたよ〜
こちらもTBさせて頂きますね!
2011/2/23(水) 午後 9:36
Shaneさん
まさか、ビルなんてものが林立し、目の前が遮られることなんて想像出来なかったことでしょう。
海の見える高台でのんびりしたかったことでしょうね。
TB有難うございました。
2011/2/24(木) 午後 8:30