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登城日 2010年 1月30日(土)晴 難易度 ☆ 場所 愛知県稲沢市平和町六輪字城之内・愛西市勝幡町 織田信長の生誕地と云われる城です。
名鉄津島線勝幡駅が最寄駅です。 詳しい地図で見る 【勝幡城の概要】 永正年間(1504年〜1520年)頃、織田信長の祖父にあたる清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」当主の織田信定(その父織田良信ともいう)が、尾張国の海西郡を手中に治めた際、大中臣安長の屋敷跡に勝幡城を築城したといわれる。 この地は元々「塩畑(しおばた)」と呼ばれていたが、縁起が悪いという理由で織田信定または織田信秀が「勝ち旗」の意で「勝幡」と改名したといわれる。 天文元年(1532年)信定の跡を継いだ信秀は今川氏豊から那古野城を攻め取ると、那古野城に移り、勝幡城に家臣の武藤雄政(武藤掃部)を城代として置いた。 天文2年(1533)、公卿の山科言継は信秀から勝幡城に招かれ、その際に城の規模と出来栄えに驚いたと日記に記している(『言継卿記』)。 このことから商業地の津島を支配下に置いた「織田弾正忠家」の経済力が窺える。 『尾州古城志』によると、天文3年(1534)に信秀の嫡子・織田信長は、この勝幡城で産まれたと記されている(那古野城という説もある)。 弘治元年(1555)、信長は主家の「織田大和守家」を滅ぼして清洲城を奪取すると、拠点を那古野城から清洲城へと移し、城代の武藤掃部を尾張野府城へと移した。 それにより次第に衰退して、やがて勝幡城は廃城となった。 昭和54年(1979)櫓台とされる位置の3m地下から基石が発見され、愛西市佐織支所に保管されている。 (wikipediaより)勝幡駅です。 駅名と城の名前が同じなので解りやすいです。 相対式2面2線のホームがありますが、無人駅です。 3本の川を渡る小津橋へ向かいます。 小津橋から勝幡城を見る。 日光川が貫通しています。 日光川の東側土手を北へ進むと、右手に小さな公園があります。 「文化財史跡勝幡城址」の木碑。 隣は勝幡城の石碑。 本丸跡を振り返る。 江戸期に河川改修により水没してしまった。 勝幡城の北側に位置する嫁振橋。 橋の欄干付近にあったかつての日光川の絵図。 反対側には勝幡城復元図があった。 かつては方形の居館のような城で、周囲を二重の堀で囲まれていたことが解る。 地籍図より類推。 (「愛知県中世城館跡調査報告」より)。 嫁振橋を東へ下ったところにもう一つの石碑があります。 愛知県の勝幡城址碑。 裏は難しい字が並んでいました。 読めないです。 周囲は宅地化してしまっていて、本当に良く解らないです。 川向うの愛西市側へは行きませんでした。 何かあったかも知れませんが… 地籍図にもあった水路。 外堀跡だったりして。 水路と三宅川の合流地点にある新黒田排水機場。 二重櫓と見張り櫓に見えました。 現代の勝幡城かな。 結局良く解らなかったです。 勝幡城さようなら。 |
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こんばんわ、最後の櫓の様建物は戦国時代の砦を彷彿させますね。傑作。
2010/2/7(日) 午前 0:07 [ 歴史エリア ]
月の輪殿さん、信長は勝端城で生まれたと記されているんですね。それにしても日光川の改修で、お城の遺構は川底に沈んでしまったんですね。。
城址碑は立派ですね! WPいきますね!
2010/2/7(日) 午前 0:19
エリア行くさん
こんばんは
最後の写真で城址っぽい記事にしてみました。
傑作有難うございます。
2010/2/7(日) 午後 10:51
Shaneさん
信長は勝幡城か那古野城のどちらかで生まれたようです。
勝幡城派は、信長生誕時はまだ那古野城は織田氏の城では無かったと主張しているようです。
何れにしろ、両方の城は埋没してしまって良く解りません。
2010/2/7(日) 午後 10:53
月の輪殿さん,勝幡城に行ってきました〜
でも,この記事の最初位出ている小公園は判りませんでした(^^;
ホント,当時を思い浮かべるよすがは無いですね〜
TBさせて頂きますね!
2015/2/7(土) 午後 11:30
shaneさん
公園は土手沿いにありましたよ。
2015/2/9(月) 午前 0:01