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場所 静岡市清水区美濃輪町・南岡町 まず、生家。 美濃輪町にある。 美濃輪町の美濃とは、袋城を築城した馬場美濃守に由来すると云う。 馬場美濃守の屋敷がある曲輪でもあったのでしょうか? 間口で税金の額が決まったため、鰻の寝床のように細長い。 次郎長と大政・小政。 これを着て旅をしたのかな? この笠はお土産にもなっています。 部屋の様子。 狭い部屋でした。 清水次郎長という名は知っていても、何をした人なのか良く解らない。 そんな人は、ここで清水次郎長の生涯を知ることが出来ます。 清水次郎長は、文政3年(1820)に船頭高木三右衛門の次男として生まれるが、母親の弟で米屋を営む叔父である甲田屋次郎八のもとに養子に出され、「長五郎」と命名される。 その後、次郎八のところの長五郎がつまって、「次郎長」と呼ばれるようになる。 子供の頃は腕白で、寺小屋ではケンカやイタズラばかりしていたため遂に和尚から追放され、次郎長の短い学生時代は終わりを告げた。 しかし、15歳の時には商才を発揮し出したと云う。 20歳の時に、旅の僧から寿命が25歳と告げられ人生観が一変。 任侠の道へ入った。 (途中省略) 幕末に、江戸無血開城の談判に向かう山岡鉄舟の危難を救い、西郷隆盛のいる駿府まで送り届けた。 もし、西郷隆盛と山岡鉄舟の会見が無かったら、歴史は大きく変わっていたことでしょう。 維新後は、地元の発展に尽力したと云う。 東海道線の敷設工事を請け負った次郎長は、静岡市駿河区の米屋・山西屋に協力を求めたと云う。 山西屋は、開通後に褒美として駅弁販売の権利をもらった。 この山西屋が、現在静岡駅弁を販売する「東海軒」だそうです。 以上は抜粋です。 詳細は現地でご覧下さい。 入館無料です。 近くの美濃輪稲荷神社。 鳥居の横の石に次郎長の名が刻まれている。 「山本長五郎」と書いてありました。 本殿は、昨年の駿河湾地震で破損し修復中でした。 この辺りは海抜2m。 津波が来なくて良かった。 晩年、清水港に船宿「末廣」を開業し、亡くなるまで住んだ。 跡地には碑が建っています。 裏には説明板。 良く読むと、この碑が建っている所から東へ50m行った所が跡地だそうです。 そこに建てればいいのに… 碑の建つ所から西へ少し行ったところに、船宿「末廣」が復元されている。 良く見ないと、普通の民家だと思って見過ごしそう。 説明板。 明治26年6月12日、この船宿の一室で生涯を閉じた。 享年74歳。 南岡町にある梅陰禅寺。 ここに清水次郎長の墓がある。 入口が清水次郎長遺物館になっている。 入場料300円です。 清水次郎長の墓。 大政、小政の墓もある。 櫓台のような石垣の前に清水次郎長の銅像が建てられている。 近づいてみる。 厳つい顔ですね。 帰りに、茶処静岡なのでご当地茶を買って帰りました。 清水次郎長が明治維新に貢献した人だと初めて知りました。 せっかく行った場所で、城ばかり見ていては勿体ないですね。 |
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月の輪殿さん、清水には次郎長のお墓や、ゆかりの史跡がいくつもあるんですね。彼が幕末の歴史にも顔を出しているとは、僕も知りませんでした(^^ゞ
エスパルスとの試合の時に行こうと思いながらなかなかその機会がありません(^^ゞ
WPいきますね!
2010/6/30(水) 午後 10:00
Shaneさん
ありがとうございます。
映画にもなっていますが、ここへ来るまでどんな人か解らなかったです。
2010/7/2(金) 午前 7:04
名前くらいしか知らないのですが、任侠人らしい面構えですね(^-^ゞ
確か幕臣達の遺体を片付け、葬ってくれた人ですよね。
2010/7/4(日) 午前 0:11
るなさん
そんなこともしていたのですが?
現地の説明板には書いてあったかなぁ?
結局まだ良く解らないです。
2010/7/4(日) 午後 9:26