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所在地 京都市上京区堀川下之町
平安時代から架かる橋です。 【戻橋】 延喜18年(918)、文章博士・三善清行が亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていた。 浄蔵は櫃にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生して父子物語を交したという伝説から戻橋と名付けたという。 太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱が深夜この橋の東詰で容貌美しい女子にやつした鬼女に出逢ったという伝説もあるところである。 京都市 堀川通から見る。 平安京の一条大路と堀川が交差するところに架けられた橋で、洛中と洛外を分ける橋だった。 また、この世とあの世との間に架けられているという意味にもとらえらた。 一条戻橋の先には葬送の地があり、葬儀の列が必ずこの橋を渡ったといわれる。 橋の下を流れる堀川。 いつの間にか驚く程きれいになっていた。 堀川は長らく水が枯れていたが、京都市の整備事業によって平成21年3月に復活した。 平安時代の文章博士だった三善清行が死去したとき、この橋の上で葬列に出会った子の浄蔵が祈願したところ、一時蘇生したという故事から戻り橋と名が付いたと云う。 平家物語「剣巻」(最初のご紹介した駒札の「太平記」は「平家物語」の間違いと思われる。)では、摂津源氏 源頼光の四天王だった渡辺綱が、夜中に一条戻橋のたもとで鬼女に襲われたとき、鬼の腕を太刀で切り落として逃げることができたと云う。 安土桃山時代には豊臣秀吉により島津歳久と千利休の首級が晒されたと云う。 この戻橋は、平成7年に架け替えられたもの。 以前の戻橋は晴明神社の境内にミニチュアとして再現されている。 脇には式神。 説明板。 『源平盛衰記』巻十によれば、高倉天皇の中宮建礼門院の出産のときに、その母の二位殿が一条戻橋で橋占を行ったとき、12人の童子が手を打ち鳴らしながら橋を渡り、生まれた皇子(後の安徳天皇)の将来を予言する歌を歌ったという。 この童子は、陰陽師・安倍晴明が一条戻橋の下に隠していた十二神将の化身といわれる式神と云う。 戻橋という名から、嫁入り前の女性は実家に戻ってはいけないと、この橋に近づかない風習があるという。 また、戦地へ向かう兵隊は無事戻ってくるようにと、この橋を渡ったという。 よく知らずに渡ってしまった私はどうなっちゃうのかなぁ〜 |
京の史跡めぐり
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「一条戻り橋」の名だけは知ってます(汗)
勉強になります〜〜
Wポチ☆
2010/9/29(水) 午前 8:18
一応有名なんですけど…
京のど真中に埋没した感がありますね。
2010/9/29(水) 午後 10:24
月の輪殿さん、一条戻り橋も初めて知りました(^^;
色々な謂れのある橋なんですね^^
WPいきますね!
2010/9/30(木) 午前 0:07
Shaneさん
目立たない橋ですので見過ごしがちです。
近くには源頼光の屋敷跡もあります。
2010/10/1(金) 午後 9:41
こんばんは
いろいろないわれがある橋なので、いつか行ってみたいと思っていました。詳しい説明で不思議な魅力を感じました。
ぽち★
2010/10/12(火) 午後 7:10 [ - ]
やまたろうさん
解説板が無ければただの橋かと。
でも、名前からして何かありそうな橋ですね。
2010/10/12(火) 午後 9:24