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登城日 2010年 9月11日(土)晴
難易度 ☆
場所 静岡県磐田市見付字城山190
『遠江国風土記伝』には、「回廊凡そ五十町…寿永・建久年間(1182〜1190)に安田三郎義定遠江守に任ぜられ茲に住むか」とあるが義定住居の史実は定かではない。
『宗長手記』『今川記』等に見える寛正・文明年間(1460〜1486)の斯波・今川氏の抗争、混戦に際し一時的にも城塁の機能を有したことが推測されている。
関係諸文献により、永禄12年(1569)正月、徳川家康は山本帯刀成氏(成行)の縄張で見付宿の東方山続きの旧塁を崩し、城・屋敷・御在所・堀川の造営等、城之崎の城塁を改修し新城を築き、同年5月、掛川城の今川氏真攻略後、「爰ハ不被可然」(『三河物語』)として築城未完のまま元亀元年(1570)6月、浜松(引馬城)へ移っている。
(『静岡県の中世城館跡』より抜粋)
城之崎城の最寄駅はJR磐田駅です。
磐田駅前の大樟。
かつて善導寺の境内にあったが、樟だけが残った。
樹齢700年と云う。
城之崎城遠景。
岬のように尖った台地にあった。
見取図。
碑も何も建っていないが、本丸跡の城山球場の名前が、城之崎城を偲ばせる。
ここに虎口があったようだ。
周辺を土塁が廻る。
よって、ぐるーっと一周してみた。
北西のL字型土塁はかなり高い。
かつて内側に井戸があったと云う。
北西部分の土塁はそのままスタンドに利用されていた。
松が土塁があることを示している。
東側の土塁。
東側には空堀が残る。
空堀は結構大きいです。
空堀の南端と東側の土塁。
空堀の南側は崖になっている。
南側の土塁。
南西部分の土塁。
高さは約9mという。
一周しました。
今度は二の丸へ行ってみます。
北西のL字型土塁を北から見る。
土塁北側先端。
反対側には櫓台のような地形があった。
櫓台東側のあやしい神社。
城っぽい壁。
二の丸には城山中学校が建てられている。
遺構は見つけることが出来ませんでした。
北側の斜面。
下ると旧東海道。
旧東海道付近から城之崎城方面を見る。
城之崎城は、今川氏滅亡後武田信玄の南下を考慮し天竜川の西岸に位置する浜松城築城に伴い廃城になったと云う。
もし、今川氏の滅亡が長引いたら…
城之崎城が出世城になっていたかも。
(おまけ)
城之崎城の西側にある福王寺。
所在地 静岡県磐田市城之崎4-2722-1
山号 風祭山
宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩
創建 平安時代
開基 不明
全景図。
総門。
説明板。
総門の左右の石垣は、廃城後の城之崎城の石垣を使用しているとのことですが、この石垣のことかな?
手水舎で身を清める。
山門。
説明板。
本堂でお参り。
本堂西隣に何と、晴明殿を発見!
由来。
諸国行脚の途上でこの地を訪れた安倍晴明が祈祷をしたところ、風雨が鎮まり大災害を免れたと云う。
よって、山号を風祭山としたとのこと。
境内西側にある江月堂。
1階は展示室になっている。
城之崎や見付宿の事が良く解る。
有料ですが必見です。
江月堂の裏に安倍晴明が祈祷をした場所が残っている。
まさに、パワースポット!
境内には伝今川範国の墓がある。
今川範国は今川家初代で今川氏発展の礎を築いた。
今川了俊の父。
意外な発見でした。
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この辺りに、こんな城がありましたか!
土塁がスタンド使われてるのは見た事があるけど、ここは松が生えてて使われ方が面白いですね^^
Wポチ
2010/10/17(日) 午前 0:34
ちょうど本丸に球場がスッポリ!
完成していたら、玉縄城のようなすり鉢状の城だったのでしょうか?
謎です。
2010/10/17(日) 午前 6:15