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場所 愛知県豊川市八幡町忍地127-1
三河国分寺の北東隅に位置する交差点。
ここから東に細い路地を進む。
説明板。
【史跡 三河国分尼寺跡】
国分寺と国分尼寺は、奈良時代に聖武天皇の命令で全国60余ヵ国の国衙に建てられた官立の寺院です。
発掘調査の結果、この三河国分尼寺跡には、かつては約150m四方の敷地に、本尊を安置した金堂、尼僧が勉学した講堂、尼僧の共同宿舎であった尼房、時刻を知らせた鐘楼、仏教経典などをおさめた経蔵、中門と講堂をつなぐ渡り廊下としての回廊、寺院正面の門である南大門などの建物が軒を連ねていたことが確かめられ、瓦や土器などの数多くの遺物が出土しました。
三河国分尼寺は、奈良時代から平安時代中頃にかけて、三河国分寺とともに三河国の仏教文化の中心施設として繁栄しますが、やがてその役目を終えると建物は朽ち果て、後に跡地に建てられた清光寺の境内にわずかに残る礎石に、当時の面影を残すだけとなっていました。
そこで、豊川市では、この三河国分尼寺跡の保存と活用のため、平成11年度から保存整備工事に着手し、かつての国分尼寺の偉容を想像していいただけるように中門と回廊の一部の実物大復元を行い、歴史を体感できる史跡公園として整備しました。
三河国分尼寺とその向こうに三河国分寺。
さらにその奥に三河国府があった。
三河国分尼寺復元想像図。
南大門はまだですが、中門が復元されています。
「史蹟 三河国分尼寺趾」の碑。
南大門跡から見た中門。
角度を変えて見る。
説明板。
回廊跡から見る。
回廊はぐるっと囲んでいた。
中心に金堂があった。
説明板。
階段を登る?
金堂跡の上部。
金堂基壇の礎石についての説明板。
中心に須弥壇があった。
金堂の裏に鐘楼と経蔵があった。
鐘楼跡。
鐘楼跡と金堂跡。
経蔵跡。
金堂の裏には講堂があった。
金堂跡から見た講堂跡。
説明板。
講堂から北を見る。
尼房があった。
尼房の北にあった北方建物跡。
何が建っていたのかな?
その北の掘立柱塀跡。
これは史跡ではありません。
展望デッキ。
展望デッキから三河国分尼寺を見下ろす。
戻る。
北方建物跡。
講堂跡と金堂跡。
金堂跡。
中門。
三河国分尼寺跡の西側には清光寺が建つ。
清光寺から見た中門。
是非とも完全復元して欲しいと思います。
史跡の南側には、三河天平の里資料館が建てられています。
ここで、この周辺の史跡について学べます。
何故かここにレンタサイクルがあります。
最終目的地にあってもなぁ〜
またここまで返しに来なければいけないし…
駅に置いて欲しいものです。
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月の輪殿さん、三河国分尼寺はかなり復元されていますよね。僕も初めて行ったときはびっくりしました。
この三河の片田舎によくぞこんな立派なお寺が、と思ったものです。
三河天平の里資料館にレンタサイクルがあるんですか。ホント、国府駅に置いておいて欲しいですよね。
WPいきますね!
2010/11/22(月) 午後 10:46
Shaneさん
三河の真ん中は岡崎ですよね。
ここだと随分東に寄っている感じがしますが…
2010/11/22(月) 午後 11:30