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所在地 京都市上京区西川端町 一条戻り橋から一条通りを東に入ると、源頼光の一条邸がありました。 さて、その一条邸跡の碑が建つ所から一条通を少し東へ行った交差点の北側にも碑が建っています。 この細い通りは、『小町通』というそうです。 交差点の角には、両側に小さな石碑が建っています。 西角の石碑には「小町通 小野小町雙紙洗水遺跡」と書かれていました。 この地は、謡曲『草子洗小町』の舞台とされる。 【草子洗小町】 大伴黒主は、歌合で小野小町を相手にすることとなった。 しかしとても勝ち目がないと考えた黒主は、歌合の前日、小町の邸に忍び込み、小町が明日のために詠んだ歌を盗み聞きする。 歌合当日、紀貫之を初め歌人たちが居並ぶ中で小町の歌が詠み上げられるが、黒主は「その歌は既存の古歌である」と難ずる。 証拠として黒主が取り出した『万葉集』の草子には、確かにその歌が書き込まれていた。 前日小町の歌を盗み聞いた黒主が、予め書き足しておいたのである。 窮地に立たされる小町だが、黒主の入れ筆と見破り、許しを得て水を以ってその草子を洗う。 するとたちまち黒主の書き足した歌は消え失せ、彼の悪事が明らかとなる。 全てが露見した黒主は自害しようとするが、小町はそれをとりなして、祝言の舞を舞う。 反対側は地主さんがトタン板で囲ってしまって読み難い。 南面は「小町通」と書かれていました。 西面は「諸侯屋敷 一条下り松遺跡」と書かれていました。 豊臣秀吉が聚楽第を築城した際、この付近に諸侯が屋敷を構えたと云う。 付近の石垣。 屋敷の遺構かな?(だったらいいなぁ〜) また、宮本武蔵と吉岡一門が決闘した一乗寺下り松は誤記であって、この地に吉岡道場がありその裏庭にあった『一条下り松』で決闘が行われたとも云われる。 せっかくの「小町通」が何だか物騒になりましたので、先へ進みます。 突き当りの東角にも石碑が建っており、 西面に「小町通」、北面に「新武者小路」 と書かれていました。 ここから東へ向かう細い通りは「新武者小路」というらしい。 ここにも何か歴史がありそう。 最後に振り返る。 『小町通』は100mちょっとの短い通りですが、歴史あふれる通りでした。 (おまけ) 余談ですが、大伴黒主といえば、六歌仙の一人で祇園祭の山鉾「黒主山」にもなっている。 中京区烏帽子屋町にある「黒主山」の収蔵庫。 入り口に碑が建っています。 マンションになっています。 どこに山鉾があるのでしょうね。 いつかじっくり祇園祭を観てみたいものです。 |
京の史跡めぐり
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