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場所 島根県松江市竹矢町寺領 まずは、周辺の案内図。 案内図の右端上部付近。 竹矢交差点を西へ。 いきなりですが、何の案内板も無い普通の住宅地。 後で知ったことですが、この付近に出雲国分尼寺があった。 島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館の出雲国分尼寺模型。 これも後で知ったことですが、少し西へ進み、山陰道の中竹矢交差点手前の民家の裏山に、出雲国分寺窯跡がある。 山陰道の中竹矢交差点。 さらに少し西へ行くと、出雲国分寺がありました。 伽藍配置図。 (美濃国分寺跡にある大垣市歴史民俗資料館内の展示から) 復元図。 説明板。 【国指定史跡 出雲国分寺跡】 出雲国分寺は奈良時代の中ごろ(天平13年・741年)聖武天皇の詔によって、全国につくられた国分寺・国分尼寺の一つです。 その頃の国分寺には20人の僧侶が配置されていました。 発掘調査によって、一辺約150mの寺域の中に南門、中門、回廊、金堂、塔、講堂、僧坊などの建物が確認されています。 当時、瓦を葺いた建物は寺院を中心に国や郡の役所などごくわずかでしたが、この国分寺では朝鮮半島の新羅の影響を受けた流麗な文様をもった軒先瓦が使われています。 国分寺は当時の建築、金工などの高度な技術や学術文化の粋を集めてつくられたもので、人々は初めて見る寺院に目を見張ったことでしょう。 島根県教育委員会 「出雲国分寺跡」の碑と南門跡。 南門跡には礎石が残る。 南門跡から真っすぐ進む。 中門跡。 中門から講堂にかけて回廊が廻っていた。 中門跡から金堂跡を見る。 金堂跡。 金堂跡の礎石。 金堂跡から講堂跡を見る。 講堂跡。 講堂跡の礎石。 講堂跡から僧房跡を見る。 僧坊跡。 境内の西側奥は山が食い込んでいて、境内が長方形になっていない。 何でここなんだろう? 僧坊跡から振り返る。 復元当時の様子。 (美濃国分寺跡にある大垣市歴史民俗資料館内の展示から) 講堂跡から見た金堂跡。 回廊を巡る。 回廊北側部分。 この土盛りは何だろう? 回廊東側部分。 回廊南側部分。 回廊の東南隅から見た塔跡基壇。 塔跡基壇上部の様子。 金堂跡に戻って中門跡を見る。 中門跡付近から塔跡基壇を見る。 中門跡から南門跡を見る。 塔跡から見た中門跡。 南門跡から天平古道が南へ真っすぐ延びる。 出雲国分寺の参道だったのだろう。 この道も国指定史跡。 最後に島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館の出雲国分寺模型。 これも後で知ったことですが、竹矢バス停から歩いて行くよりも、「島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館」か「ガイダンス山代の郷」までバスで行き、そこでレンタサイクルした方がずっと楽だった。 (おまけ) 天平古道から少し東にある客の森。 意宇(おう)の杜推定地。 説明板。 八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌノミコト)が新羅(今の朝鮮半島)等から国(島々)を引き寄せ島根半島の大半を造った後、杖を立てて「おゑ」(「今、国引きを終えたぞ!」という意味らしい。)と言った所と云う。 |
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月の輪殿さんは戦国だけじゃなく、いろいろな歴史に興味を持たれてるんですね!
自分はこの時代に疎いんですよね〜^^ Wポチ
2010/12/10(金) 午後 11:09
戦国時代はちょっと飽きてしまいました。
古代、中世も面白いですよ。
最近、古事記や日本書紀の世界が面白いと思うようになりました。
2010/12/11(土) 午後 11:22