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所在地 京都市左京区永観堂町48 山号 聖衆来迎山 宗派 浄土宗西山禅林寺派 本尊 阿弥陀如来 創建 仁寿3年(853年) 開基 真紹 【永観堂禅林寺の歴史】 空海(弘法大師)の高弟である僧都・真紹が、都における実践道場の建立を志し、五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源である。 真紹は仁寿3年(853)、歌人・文人であった故・藤原関雄の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。 当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年(863)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。 当初真言宗寺院として出発した禅林寺は、中興の祖とされる7世住持の律師・永観(ようかん、1033年 - 1111年)の頃から浄土教色を強めていく。 永観は文章博士源国経の子として生まれ、11歳で禅林寺の深観に弟子入りする。 当初、南都六宗のうちの三論宗、法相宗を学ぶが、やがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。 師深観の跡を受けて禅林寺に入るのは延久4年(1072)のことである。永観は人々に念仏を勧め、また、禅林寺内に薬王院を設けて、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。 永観は、今日の社会福祉活動の先駆者といえるであろう。 禅林寺を永観堂と呼ぶのは、この永観律師が住したことに由来する。 なお、「永観堂」は普通「えいかんどう」と読むが、「永観」という僧の名は「ようかん」と読むのが正しいとされている。 禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。 この像については次のような伝承がある。 永保2年(1082)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。 驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。 本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。 禅林寺12世の僧都・静遍(じょうへん、1166年 - 1224年)は、当初真言宗の僧であったが、後に法然に帰依し、念仏門に入った。 法然の高弟の証空(西山派祖)も、静遍の後を嗣いで当寺に住持したと伝えられている。 證空の門弟の浄音の時代に、禅林寺は真言宗から浄土宗西山派(小坂流)の寺院となり、揺るぎのない念仏道場とされた。 (wikipediaより) 「もみじ」と言えば「永観堂」を連想するくらい有名(なハズ?)。 本日の目的地のつもりだったのですが… 東福寺や赤山禅院などに寄り道していたら、肝心の永観堂へ向かう前にデジカメの電地が無くなってしまった(泣) 充電後向うも、夜の特別拝観の終了直前になってしまった。 総門を駆け抜ける。 中門までの参道沿いの塀の紅葉。 別角度。 きれいだなぁ〜 紅葉が光ってる! (と言っても写真では今一つ。コンデジの限界。もっといいデジカメが欲しくなりました。) 凄い人でした。 中門を駆け抜ける。 鶴寿台の紅葉。 唐門の紅葉。 御影堂へ向かう途中の紅葉。 御影堂の紅葉。 紅葉。 今様の塔。 龍吐水。 もみじが浮いている感じが良かった。 吐いておりました。 何故か惹かれました。 阿弥陀堂へ。 阿弥陀堂(本堂)。 極楽橋から見た放生池。 臭かった… お地蔵様。 放生池に映る紅葉。 紅葉の間から多宝塔が見えた。 放生池の中にある弁天社。 放生池前の茶店。 画仙堂。 紅葉の絨毯。 ライトアップしている照明。 照明の中にももみじが入っていてきれいでした。 もう一度紅葉の絨毯を振り返る。 ライトアップされた紅葉もきれいでしたが、やはり太陽の光を浴びた紅葉の方がきれいだと思いました。 来年は日中に訪れたいと思います。 |
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月の輪殿さん、太陽の光を浴びた紅葉はとっても綺麗ですが、写真を見ていたらライトアップされた紅葉もとっても雰囲気があっていいですよ!
息を呑むような写真です!
WPいきますね!
2011/1/24(月) 午後 10:12
Shaneさん
実際に見た紅葉はもっと鮮やかだったのですが、安物のコンデジの限界できれいに写せなかった。
口惜しいです。
2011/1/24(月) 午後 10:26
極楽橋から見た放生池!すごく綺麗ですね〜〜
紅葉のライトアップって好きです^^ ポチ
2011/1/25(火) 午前 11:35
おしょうさん
持っているコンデジでは何か紅葉が枯れたような色になってしまってとても残念。
もっとオレンジっぽかったのですが。
2011/1/25(火) 午後 9:05