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場所 愛知県稲沢市松下2丁目13-11 最寄駅は名鉄名古屋本線国府宮駅です。 まず、尾張国府とともに創建されたと云う尾張大國霊神社を目指します。 参道へ向かう途中にあった小さな神社。 参道へ到着。 尾張大国霊神社は一般的には国府宮と呼ばれています。 所在地 愛知県稲沢市国府宮1-1-1 御祭神 尾張大國霊神 創建 不詳 毎年2月に行われる「はだか祭」が有名だそうです。 (正式には「儺追神事(なおいしんじ)」という。) 先へ進みます。 燈籠の建ち並ぶ参道を進み、県道62号線を橋で渡ります。 橋から西を見る。 橋の下が二重になっていて複雑ですね。 さらに北へ進みます。 この辺りは御供所町という町名。 第二鳥居と神社の碑。 石橋。 小さな川が流れていたようだ。 第三鳥居は木の鳥居。 参道横に大御霊神社の碑を発見。 行ってみる。 大御霊神社。 国府宮の別宮。 参道に戻る。 楼門。 ここで、御由緒が見当たらなかったので、いただいたパンフレットより説明します。 【尾張大國霊神社御由緒】 ≪御際神 尾張大國霊神≫ 尾張大國霊神とは、大昔我々の祖先が此の地方に移住をして住居を構え生活を始めた時、日々の生活の糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い日常生活の守護と感謝の心の拠り所としてお祀りした神であります。 即ち、尾張人の生活に直接関わる神であり、尾張国の総鎮守神ともいえる神であって今日、農商業守護の神、厄除の神として広く信仰されております。 ≪国府宮、総社≫ 当社の通称として知られております「国府宮」とは、今から少なくとも千三百余年前すでに、この附近に国衙が置かれ、総社として国司が祭祀した神社であるから国府宮と呼ばれるようになりました。 又、当社は尾張総社と称されますが、総社とは、一国中の神社の御祭神を国衙附近に勧請して、国司が自ら祭祀する神社の事で、尾張国においてはその根源である尾張大國霊神という國霊神を祀る社柄であり由緒古く国衙に隣接して御鎮座である処から、当神社を尾張国総社と定め、手厚くお祀りしておりました。 ≪社殿≫ 本殿は流造、拝殿は切妻造で全体の様式は尾張式といわれるもので、本殿、渡殿、祭文殿、東西の廻廊、拝殿、楼門と建並んでいます。 尚、重要文化財として、 楼門 足利初期の建立 正保3年(1646)の解体大修理の際、上層を改造している。 拝殿 徳川初期の建立 特徴として、切妻造で内側に柱が並立する。 又、御本殿に隣接する形で、磐境(いわくら又は、いわさか)と呼ばれる5個の大きな自然石が円形に立ち並び、神聖視されています。 これは、今日のように社殿を建てて神を祀る以前の、最も古い原始的な祭場で、当神社が太古にはすでに創始されていた事を物語っています。 ≪別宮≫ 宗形神社 御祭神 田心姫命 大御霊神社 御祭神 大歳神之御子 末社として、司宮神社(猿田彦神)、稲荷神社(倉稲魂命)、神明社(天照皇大御神)、居森社(素盞嗚命)、白山社(菊理姫命)、三女社(田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命)が境内東南に鎮座になっております。 蕃塀。 手水舎で身を清める。 拝殿でお参り。 拝殿裏の本殿。 ちょっと覗いて見ると、隙間から磐境が見えました。 横に細長い境内。 社務所。 御朱印をいただきました。 国府宮を後にします。 西の鳥居。 近くに尾張国府があったと云う。 名鉄の線路を渡りしばらく西進すると、「尾張国衙跡 松下公民館。 公民館の東側に碑が建っています。 ここが尾張国府跡という。 説明板。 【尾張国衙址】 古代律令制の時代、国司(現在の県知事)が政務をとる官庁が国衙とか国庁といわれ、その所在地を国府といった。 国衙は、大化の改新のあと7世紀後半に置かれたが、尾張の国衙は松下の地にあったとされ、この地が政治・文化の中心であったと思われる。 東隣のアパートは「ファミール国衙」。 中世には、この地に松下城が築かれたとも。 尾張国司には、悪政により百姓に訴えられ解任された藤原元命や、その後赴任して善政を敷いた大江匡衝がいる。 大江匡衝は、用水路の整備をおこなって農業の振興に務めたり、官人の養成のための尾張学校院を設立したりした。 尾張学校院址は、国府宮駅の西側にあります。 説明板。 碑はホームの端から見えるが、道路から何の碑か解からない。 また、大江匡衝の妻が歌人として有名な赤染衛門だった。 駅の北側に赤染衛門歌碑公園が造られている。 歌碑。 はつゆきと おもほへぬかな このたびは 猶ふる里を 思ひいでつつ 匡衡 めずらしきことは ふりすぞ 思ほゆる 行きかへりみる ところなれども 衛門 背後の松は、赤染衛門が衣を掛けた松があった所を示す。 歌碑建立の説明板。 【歌碑建立のこと】 稲沢市制30周年を記念し、本市にゆかりの深い平安の女流歌人、「赤染衛門」と、その夫で大江川の開削に力を注いだ「大江」の二人を顕彰し、後世に伝承する目的でこの碑を建立したものである。 長保3年(1001)の7月、大江匡衝が尾張守に任命され赴任するのに伴って、赤染衛門も稲沢の地を訪れている。 1004年まで住み、寛弘6年(1009)再び尾張守に任じられた夫と共に、稲沢に下向したと伝えられる。 ここに刻んだ二首の歌意は、大江匡衝が尾張国(稲沢)へ二度目の赴任をした際、初雪が降り住み慣れた馴染みの土地である尾張に帰って来たことを思い出しながら詠んだもので、その「返し」に、赤染衛門が、今度の旅は再び見る昔馴染みの所ではあるが、初雪はやはり新鮮な気持ちで鑑賞されると詠んだ歌である。 ≪赤染衛門≫ 赤染衛門の生没年は不詳であるが、960年〜1041年の説もある。 赤染用時の娘で時用が右衛門尉であったので赤染衛門と呼ばれた。 母は、初め平兼盛と結婚し、離別して赤染時用と再婚したので、実父は平兼盛という説もある。 赤染衛門は、大江匡衝と結婚し、挙周、江侍従の二子の母となっている。 藤原公任の中納言の辞表を匡衝が作成するとき「不遇を訴える形で」と助言した話は有名で、良妻賢母ぶりがうかがえる。 歌人としては、和泉式部と並び称され、中古三十六歌仙の一人として有名である。 歌集に「赤染衛門集」があり、異説もあるが、「栄華物語」本編の作者として有力視されている。 やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな (百人一首) 平成元年2月 稲沢市 次に尾張国分寺へ向かいました。 (おまけ) 国府宮の参道途中から見えた餃子の王将稲沢店。 メニューにタイ料理がある珍しい王将。 何と、昼のランチには食べ放題のサラダバーまでありました。 サラダバーの一品の炒め物が最高においしかった。 今まで行った餃子の王将の中で一番でした。 |
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月の輪殿さん、国府宮も制覇されましたね。近くにいろいろと見所も多いんですね。
津島神社やここは、早いうちにいってみたいです!
WPいきますね!
2011/1/27(木) 午後 7:42
Shaneさん
美濃、尾張、三河、遠江の国府を制覇しました。
今年も頑張ります。
2011/1/27(木) 午後 10:30
こんにちは。先日はお祝いコメントありがとうございましたm(_)m どうやら
こちらでは熱い裸祭りが行われるようですね。普段は静かな地も当日に
なると熱気に包まれるようで。男の絡みは嫌です∵ゞ( ̄ε ̄β)ブハッ!! 全ポチ
2011/1/28(金) 午後 5:34
権中納言殿
有難うございます。
今年はまもなく行われるとのこと。
機会があれば行ってみたいものです。
2011/1/29(土) 午前 0:52