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(もどる) 高野山案内図でおさらい。 (案内図の現在地は一の橋ですが、消防署付近にいます。) 城のような地蔵院。 茨城下妻城主多賀谷家、京都福知山城主稲葉家、奈良高取城主本多家、越前城主松平家、伊勢津城主藤堂家の菩提寺だった。 向かいは苅萱堂。 苅萱道心と石道丸の悲話が伝わる。 出家した苅萱道心を訪ね、石童丸は母と共に高野山に向かった。 高野山は女人禁制の為、麓の宿に母を残し石童丸だけが高野山に登り、父を探している時、一人の僧と出会い父を尋ねます。 しかし、その僧は「その尋ね人はもうこの世にはいない」と告げます。 実は、この僧こそ、苅萱道心と名を変えた父だったと云う。 その話を聞き、石童丸が麓の宿に戻ると、母は急病で亡くなっていた。 石童丸は、再び高野山に戻り苅萱道心の弟子となるが、苅萱道心は父と名乗ることは無く、石道丸は一生知らぬままに生涯を送ったと云う。 少し東へ歩いた所にある熊谷寺。 熊谷直実ゆかりの寺。 そして、その向かいが本日の目的地だった赤松院。
【赤松院略縁起】 当院は延長元年(923)平安中期聖快阿闍梨の創立で山本坊と云われていました。 その後元弘(1331)鎌倉後期護良親王当院に御在住当時、赤松則村随従し入道して円心と称され、以後赤松院と改め、赤松家一族の菩提所となり、江戸期には細川、有馬家の菩提所となり現本尊十一面観世音菩薩と共に、自己の寿像並に系譜等を納められる。 2000余坪の庭園は広大な幽邃なる、林泉の美を以って山内第一と称せられ、静寂な環境にして知られる。 当山の中心に位置し奥の院には一番近くの宿坊で参拝には便利である。 (パンフレットより) 山門。
扁額。 「せきしょういん」と読みます。 門の家紋。 赤松家の左三つ巴。 村上源氏の竜胆車。 反対側の門の家紋。 釘抜と九曜。 併設の東根院のものだろうか? 東根院は、山形の西村山(現東根市)の大名里見氏の建立で山形の宿場として現在に至る。 東根里見氏のものとも違う気がするが。 境内の様子。 寺院というよりは宿坊といった感じ。 中に赤松円心の像がある。 玄関より入ってみる。 見せて欲しいと頼んでみましたが、一般の参拝客に都度応対するのは面倒との回答でした。 見るためには読売旅行社等が企画するツアーに参加して下さいとのこと。 こんな赤松円心像が拝めたはずなのですが… (赤松院HPより) 赤松即祐像。 (赤松院HPより) 宿泊客では無いのでとても冷たい応対でした。 御朱印くらいなら、とのことで書いてもらいました。 赤松院を出る。 外は一面銀世界。 余計に寒く感じられました。 今日の目的地だったので、とても残念でした。 最後に奥の院へ向かいました。 奥の院ガイドマップ。 杉木立の参道には諸大名の墓石等が建ち並ぶ。 森忠政供養塔。 久留米有馬家墓所。 ここには敵味方はありません。 時代も混在。 平敦盛、熊谷直実、成田長恭(「のぼう」こと成田長親の叔父)の墓所。 源氏の祖、多田満仲墓所。 武田信玄、勝頼墓所。 見下ろす位置に上杉謙信霊屋。 重要文化財。 弘法大師腰かけ石。 伊達政宗墓所。 井伊直弼霊屋。 薩摩島津家墓所。 四番石。 石田三成墓所。 明智光秀墓所。 本多忠勝墓所。 南海電鉄創始者松本重太郎墓所。 説明板。 振り返る。 市川団十郎墓所。 汗かき地蔵。 姿見の井戸。 奥の院弘法大師御廟を目指します。 (つづく) |
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月の輪殿さん、奥之院の雪景色はとても幽玄な雰囲気ですよね!
ところで、目的地だった赤松院で、とっても冷たい対応を受けたんですね… 寺院でそのような対応とは。。。情けないと思います(^^;
WPいきますね!
2011/2/25(金) 午後 10:41
Snaneさん
格好は坊主なのですが言葉づかいや態度はヤクザみたいで怖かったです。
ただ見客は金にならないからいらないと言った感じでかなりガッカリでした。
2011/2/25(金) 午後 11:13