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場所 千葉県市川市国分4-19 街かどミュージアム拠点案内板。 途中の庚申塔。 道を挟んだ反対側にも。 庚申塔左側の斜めの道を進む。 すぐに公園があります。 国分尼寺跡公園。 ここに下総国分尼寺があった。 【下総国分尼寺跡】 国分尼寺は、天平13年(741)の聖武天皇の命令で、国分僧寺とともに各国に建てられ、10人の尼僧が置かれた。 その建立には、仏教の力で国をまもる願いが込められていたが、国分尼寺の正式名称は「法華滅罪之寺」というので、人々がおかした罪を消滅させる願いが強調されていた。 下総国分尼寺は、昭和7年(1932)の発掘調査で、この場所にある金堂と講堂の基壇が確認され、「尼寺」と書かれた墨書土器が出土したことから、位置を確定することができた。 その後、発掘調査は昭和42年(1967)以降何度もおこなわれ、寺の範囲を区画する溝が北・東・南で確認されている。 北溝の全長は約340m、東溝は303mになることがわかった。 この溝で区画された寺域(寺院地)は不整な方形を呈し、寺院地の中には、金堂や講堂といった宗教的な施設のほかに、寺の運営をおこなった施設、寺の営繕にかかわった施設、倉、寺の下働きをした人々が住んだ施設、仏に供える花などを栽培した畑が含まれていた。 尼寺は僧寺の西側に位置するので、「西寺」と書かれた墨書土器も出土している。 これらの施設のうち、宗教的な施設は溝や塀で区画され、その中に金堂(東西25.5m・南北22.4m)と講堂(東西27m・南北19m)が南北に建てられた(尼寺には塔が建てられなかった)。 その区画の南辺には南門と中門が確認され、中門の構造は掘立柱の四脚門であった。 中門と金堂周辺は回廊で区画される例が多いので、このような区画のあり方は、武蔵国分僧寺と尼寺などのみられるものの例は少ない。 講堂北側の区画には尼坊が推定されている。 平成14年(2002)年3月 市川市教育委員会 境内図を拡大。 南から。 公園南正面の家付近に中門があった。 中門付近から境内を見る。 金堂跡。 礎石跡にはこのようなモニュメントが。 ありがたいが、近所の子供にとっては迷惑かな? コケたりぶつかったりしてケガしなければいいが… 金堂跡を講堂跡から見る。 脇にある「下総国分尼寺跡」の碑。 金堂の北側の講堂が建っていた。 講堂跡を示すプレート。 講堂跡を南東から北西へ斜めに道路が二分している。 講堂跡の南半分を見る。 講堂跡の北半分側には礎石らしきものがありました。 講堂の北には尼坊があったと推定されています。 馬頭観音。 ここは境内の北西隅付近。 下総国分尼寺を後にしました。 三河国分尼寺跡のように解かり易く復元してくれたらもっと良かった。 (おまけ) すっかり日没間近になってしまい国府台城へ行けなかったので、市川歴史博物館へ向かいました。 途中の窪地。 ここに外環道が出来るそうな。 静かな国府台が騒がしくなりそうだなぁ。 好ましくない感じ。 市川歴史博物館。 何となく市川市の歴史が学べる。 隣接して市川考古博物館もある。 敷地内には堀之内貝塚がある。 興味が無いので、さっぱり解らなかった。 説明板を見ても文字が多すぎて難解だった。 国分寺、国分尼寺を想わせる駅名。 しかし、堀之内貝塚の方が有名なんだろう。 |
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北国分駅の駅名表示板にも何故かハングル表記がされていますね?
韓国人が観光にやってるとは思えないのですが・・・
2011/2/23(水) 午後 10:20
大納言殿
よくぞ気が付きましたね。
全く見てなかったです。
一応、成田空港へ繋がっているので、間違えて下りてしまった人の為でもあるのかもしれないですね。
2011/2/24(木) 午後 8:33
この辺りは、野球(するほう^^)か国府台城散策でしか行った事がないです。
ちゃんと公園になってて石碑などもあるんですね〜
Wポチ
2011/2/25(金) 午前 7:14
国府台城へ行く予定でしたが、駅の地図に国分寺だの国分尼寺だの書いてあったので寄り道していたら、目的地へ行けなくなってしまった。
想定外でしたが、こちらの方が良かったです。
ちなみに帰宅後調べたら、下総国分寺は中世は国分城となっていて、周囲に土塁が残存していたとのこと。
今度、国府台城へ行く時にリベンジしたいと思っています。
2011/2/25(金) 午後 7:58