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場所 三重県伊賀市西明寺 【国史跡 伊賀国分寺跡】 国分寺は、奈良時代(八世紀)に国家の安泰や疫病の退散を願って、律令体制下の各国に建てられた寺院で、国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)の二寺を指して言います。 伊賀国分寺跡は、古代の伊賀国に建てられた国分寺の跡で、東西約220m、南北約240mの規模の土塁状遺構に四方を囲まれた寺域が、現在までその姿をよくとどめています。 中心伽藍である中門・金堂・講堂は南北に一直線に並んで建てられ、土壇状に残る基壇の痕跡によって、その規模をうかがい知ることができます。 また、近年の測量調査の結果、中門と金堂を結ぶ回廊が存在したことや、東回廊の東方には塔跡(推定)が、講堂の背後には僧房と考えられる付属建物跡が存在したことも判明しています。 伊賀国分寺跡の東方数百メートルの箇所には、国分尼寺跡と推定される長楽山廃寺跡も存在し、今から1200年以上も前に、官道の整備とともに、二寺を一体とした計画的な伽藍の造営が推し進められたとされています。 大正12年3月7日指定 伊賀市教育委員会 伊賀国分寺跡は名阪国道沿いにあります。 近くまでバスが走っているかもしれませんが、解からなかったので、伊賀鉄道茅町駅からレンタサイクルで向かいました。 南側の伊賀国分寺跡入り口。 ここに案内板があります。 案内板の境内図。 南側は土塁が良く残る。 東を見る。 青い色の池がありました。 池を囲む土塁は櫓台のようにも見えました。 土塁から池を見下ろす。 東南隅の土塁を境外から見る。 東南隅の土塁を境内から見る 土塁は居館跡の土塁のように高く立派でした。 今度は南側の土塁の西を見る。 こちらはほとんど消滅している。 西へ行くと塔跡がある。 塔跡から境内を見る。 境内から塔跡を振り返る。 遊歩道を東へ進む。 遊歩道の中心付近から北を見る。 中門が建っていたことだろう。 境内を北へ進む。 中門跡。 もう一つ中門跡の大きな看板。 中門跡から今来た方向を振り返る。 金堂跡。 もう一つ金堂跡の大きな看板。 金堂跡から西を見る。 中門から金堂まで左右に回廊が廻っていた。 講堂跡。 講堂跡には礎石跡が残る。 伊賀国分寺趾の碑。 講堂の北側にあった付属建物跡。 僧房だったのだろうか。 境内の東側へ。 境内の東側にも塔が建っていた。 礎石らしきものが残る。 塔跡から境内を見る。 境内を北へ抜けたところにも碑が建っている。 説明。 伊賀国分寺跡の東側に伊賀国分尼寺があったとも。 行ってみる。 地図と見比べてみる。 北側。 何かすごい藪。 家と家の隙間を覗いてみる。 「史蹟 長楽山廃寺趾」の碑が建っていました。 ぐるっと廻ってみましたが、西側も藪。 南側も藪で中へ進むことは出来ませんでした。 伊賀国分寺も、伊賀国分尼寺も、模型があったら解かりやすかったのですが… 博物館にでも行けばあったのかな? (おまけ) 伊賀国府跡の北に伊賀国分寺と称する寺がありましたが、柵がしてある。 失礼しま〜す! 行ってみると、山中に崩れかけた土塀発見。 鐘楼には鐘が無かった。 本堂は廃寺だった。 急に天気が悪くなって雪が散らつき始めましたので、急いで下山しました。 伊賀国府跡と伊賀国分寺と称する廃寺のあった山を振り返る。 薄気味悪かった… |
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月の輪殿さん、伊賀国分寺は伊賀市にあるんですね。
ここも広々として、遺跡といった雰囲気を感じました。
伊賀鉄道茅町駅には無料のレンタサイクルがあるんですね。それはとっても便利そうです!
WPいきますね〜
2011/8/16(火) 午後 4:42
Shaneさん
レンタサイクルが無料というのは助かりますね。
ただ、結構高低差があったので、普段運動していない人にとってはかなりの運動でした。
2011/8/16(火) 午後 11:33