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(もどる) 住吉駅跡を振り返る。 ここから先は遊歩道が完成済。 足元にはこんな標識が… 早く作ってよー! また車輪。 銭取駅の方が近くなってきました。 振り返る。 歩きやすい遊歩道でした。 銭取駅まで約200m。 ここで遊歩道は終わり。 ここからは拡幅されて車道になっている。 銭取駅。 変わった地名。 (由来については後ほど) 銭取駅跡の碑が建つ。 ここから道はさらに拡幅。 しばらく2車線の真っ直ぐな道。 幸町駅。 駅跡の碑は無い(無くなってしまった模様)が、遠鉄タクシー幸町営業所になっている。 まだまだ続く真っ直ぐな道。 大きな通りを横断。 渡った所に小豆餅駅がありました。 小豆餅。 こちらも変わった地名です。 ここで由来についてご説明します。 【小豆餅と銭取】 時は元亀3年(1572)12月、徳川家康は三方ヶ原合戦で武田勢に追われ、浜松城へ逃げだしたが、お腹がぺこぺこ、歩く力もなくなった。 ふと見ると茶店で、おばあさんが小豆の餅を売っている。 家康は、「おい、もちをくれ、いくらだ」というが早いか、口に2つ3つ。 おばあさんは、「1つ三文じゃ」。 家康は、また3つ4つと餅をほおばった。 その時、「わぁー」と追手、武田勢の声、家康はあわてて逃げ出した。 おばあさんは、びっくり、「ただぐいはゆるさん」と、あとを追い、銭を受け取った。 この時、餅を食べた所を「小豆餅」、銭を払った所が「銭取」と呼ばれるようになった。 (家康伝説) 今も地名として残っている。 小豆餅駅の西側にある和菓子屋「あおい」 ここに今でも小豆餅が売られていた。 買ってみる。 すばらしい包装。 これが家康がほおばったと云う小豆餅。 こちらは銭取と命名された洋菓子。 こちらの方がうまかった。 食ったり漏らしたり、家康も忙しいなぁ。 (つづく) (おまけ) 小豆餅公民館。 ここにも小豆餅の町名由来の説明板があります。 裏に鎮座する小豆餅神社。 南へ。 小豆餅子どもの遊び場には戦時中、第一航測聯隊が駐屯していた。 航測の松。 その後、軍の用地は開拓されてしまったが、上空を今でも浜松基地の自衛隊機が飛び交う。 さらにおまけ。 萩丘2丁目で朏三日月稲荷発見! 由緒書。 持統天皇時代の長忌寸意吉麻呂に由来すると云う。 衣にほはせ 旅のしるしに (万葉集巻1−57) 「朏」は月が出るので、この一字で「みかづき」と読むそうです。 読めました? |
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電車ブロックは、その8掲載の井の国公園にあります。
2014/6/6(金) 午前 0:01
どういたしまして
2014/6/7(土) 午後 6:11