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登城日 2011年 8月13日(土)曇 難易度 ☆ 場所 茨城県古河市鴻巣 茨城県指定文化財 【史跡 古河公方館趾】 昭和8年7月18日指定 ここは旧御所沼につきでた半島の中ごろで、古河公方足利成氏以来別館のあった址で、鴻巣御所とも呼ばれていました。 成氏が鎌倉から古河に走ったのは康正元年(14559で、二年後の長禄元年(1457)には下河辺氏の築城した古河城を修築してここに移しました。 それから後、古河公方成氏、政氏、高基、晴氏、義氏に至る百二十余年の間古河は関東一円に重要な位置を占めていました。 ここにあった館も義氏の一人娘氏姫までありましたが、古河公方の城址が大正初期に渡良瀬川改修工事のため大部分河敷となり、この鴻巣御所址は往時をしのぶ史跡として意義深いものがあります。 この碑の西と東には、当時の空ほりと土塁をとどめています。 昭和44年1月15日 茨城県教育委員会 古河城立崎曲輪付近から見る。 古河スポーツセンターの南にある松月院跡へ。 ここから北300m付近にかけて古河公方開基の松月院があったが、現在は塚が残るのみ。 説明板。 誰かは特定出来ないが、古河公方の墓と推定されている。 松月院公園にある重宝する説明板。 蓮が咲いていました。 公園の中に古河公方館跡がある。 古河公方館の様子。 (wikipediaより) 御所沼は平成8年に一部復元。 往時はもっと広かったと云う。 往時も二重の堀になっていたのかな。 土塁跡に立つ胞衣の松。 1曲輪の様子。 「公方様の森」と呼ばれている。 1曲輪と2曲輪の間の空堀跡。 2曲輪に古河公方館跡の碑が建つ。 冒頭でご紹介した説明板もあります。 これらを引いて見る。 見惚れて刺されないように。 民家園。 古民家が2軒移築保存されている。 こちらは旧中山家住宅。 撮り忘れたが、隣の旧飛田家住宅は国の重要文化財だった 2曲輪の様子。 南を見る。 なだらかば斜面になっていた。 芋ころがし坂がある。 鴻巣の一本榎。 古河公方館2曲輪北面切岸を見る。 御所沼北側部分。 その東側の二入川。 かつてはここも御所沼だった。 御所沼から対岸の古河公方館を見る。 日没間近だったので、急いで古河公方館を後にしました。 古河総合公園内の元屋敷の桃林。 この辺りの旧小字名が「元屋敷」。 ここに古河公方開基の徳源院があった。 徳源院跡へ進む。 徳源院跡の様子。 説明板。 茨城県指定文化財 【史跡 古河公方足利義氏墓所】 昭和 年7月18日指定 古河公方五代目の足利義氏は天正10年(1582)12月古河城で没した。 戦乱の中、葬儀は翌年正月、久喜(埼玉県)の甘棠院で行われ、その近くに香雲院という寺も建てられたが、今は存在しない。 この墓所は義氏ゆかりの寺があった関係で、遺骸ないしその一部が埋められたものと考えられる。 明治初年までは鎌倉円覚寺末の徳源院という、義氏の娘氏女の法号にちなんだ寺があったので「徳源院跡」と呼ばれている。 義氏の墓石はないが、氏女とその子義親(天寿院殿)の宝筐印塔七地蔵を刻んだ石幢、子孫の足利氏による「古河公方義氏公墳墓」(裏面に墓地※の文)の碑がある。 (墓所図) 平成9年9月4日 茨城県教育委員会 (おまけ) 古河は七福カレーめんで街おこし中。
七福カレーめんの特徴も解からず、駅近の三嶋屋へ。 これが三嶋屋の七福カレーめん。 850円。 七福とは、福神漬に因み古河市内の七福神巡りとかけて命名。 こちらはえびす神。 (撮影場所背後に古河城文書蔵が移築) 七福カレーめんは、七種類の具材を加えることを共通のルールとしているだけで、そば・うどん・ラーメン・パスタと多種多彩。 とても全部廻れない。 古河のB級グルメ? う〰ん。 |
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古河公方館は石碑周辺しか見ませんでしたが他にも見所が
いっぱいあったのですね。月の輪さんにこの記事を参考に
再訪時に廻ってみます☆彡ポチ
七福カレーめん!味が想像できそう…(^-^ゞ
古河に行った時は西口の「丸満」に行きますよ。
餃子とワンタンが美味しいのです。ホワイト餃子系です。
でも今度は七福カレーめんに挑戦だぁ。情報ありがとうございます。
2011/9/30(金) 午後 8:35
るなさん
ホワイト餃子をご存知ですね。
さすがですね〰
2011/10/1(土) 午前 5:12