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場所 大阪府柏原市国分東条町 【河内国分寺跡】 柏原市東条には、古代のお寺跡があって、東条廃寺とか、塔本廃寺と呼ばれていました。 この寺跡が、聖武天皇が全国に命じてつくられた国分寺の一つ、河内国の国分寺の跡と考えられています。 この周辺は、山が大和川に迫っていて、とてもお寺を建てるような場所とは思えません。 それでも、このような土地に建てられたのは、大和(奈良)から難波(大阪)への交通の要所であったことや、目の前に大和川を望むすばらしい景観であったことなどの理由によるものと考えられます。 (柏原市文化財ガイドシリーズ「河内国分寺」より) 最寄駅は近鉄大阪線河内国分駅ですが、JR関西本線高井田駅がオススメです。 まずは、駅の北側にある高井田横穴公園へ。 横穴古墳がたくさんあります。 公園内には、長崎の「被爆クスノキ」の子供が植えられていました。 公園を抜けた高台にある柏原市立歴史資料館を目指します。 ここで、河内の歴史が学べます。 柏原市周辺には古代寺院が密集していた。 (約70寺院の内、14が柏原市内とか) 古代の柏原市の想像図。 資料館で河内国分寺のガイドブック等をGet。 そして、玄関脇にある散策地図を見ていざ、河内国分寺へ! (このすぐれた地図は持ち歩き出来るように印刷されたものが無かったので、デジカメで撮影して持ち歩きました。) 歩くとかなり遠いので、レンタサイクルが便利です。 大和川を渡る。 橋を渡った所にある地蔵堂付近の奈良街道説明板。 長尾街道との分岐点。 道標が建つ。 説明板。 ここに来るまで上り坂が続くので結構疲れます。 国分神社へ。 境内に国史跡松岳山古墳への登山口があります。 参道を下山。 国道25号線を渡る。 渡った所にある集落に、 河内国分尼寺があったというが、 家が建て込んでいて発掘出来ないので、はっきりとは解かっていない。 しかし、付近に「尼寺」という地名が残っていることと、奈良時代の瓦が見つかっていることから推定されている。 河内国分尼寺跡から国道25号線を東へ。 ジェイテクト国分工場の東を入る。 崖を見上げる。 何と、ここに河内国分寺があったと云う。 そして、この辺りに僧房があったとか。 えっちらおっちら登る。 振り返る。 登った所から河内国分寺跡を見る。 付近図。 推定伽藍配置図。 境内の西側付近。 ビニールハウスの辺りに鐘楼や講堂があった。 その右側のぶどう畑辺りに金堂があったようだ。 南側は山が迫る。 この辺りに中門があったのかな。 振り返る。 これではさっぱり解りませんが、 少し東へ行った所に「☞国分寺塔跡」の標識。 標識に従い曲がった所に塔跡の基壇が復元されている。 説明板。 【河内国分寺塔跡】 柏原市国分東条 当地では昔から古代の瓦が発見されており、地名・塔跡の規模から河内国分寺と推定されています。 国分寺とは、奈良時代に建てられた官寺のことで、国分尼寺とともに旧国に一対ずつ建立し、国の平安を祈ったものです。 昭和45年に発掘調査がおこなわれ、塔の基壇と、中門の一部が確認されました。 奈良時代の瓦と共に、それ以前の瓦も出土しています。 白鳳時代(7世紀末)の寺を改築・整備したようです。 〔基壇〕 土をつきかため、凝灰岩で表面を整え、礎石を置いて柱を受け、重い建物をささえました。 一辺 19.2m 高さ 1.6m (階段の巾 4.5m) 近くには鳥坂寺・土師寺などの寺院群や、河内国府など著名な古代の遺跡が密集しています。 大和川をはさんだ北東の山には、大和と河内を結ぶ古代の主要路「龍田越(立田越)」がとおり、古くは桜・紅葉の名所としても知られていました。 雁かねの 来鳴きしなへに 韓衣 立田の山は もみち始めたり (万葉集) 平成2年3月 大阪府教育委員会 柏原市教育委員会 河内国分寺の位置図と古代の主要路。 昭和45年発掘調査の様子。 現在の様子。 河内国分寺塔跡の碑。 もう一つの説明板。 塔跡の南側には食堂と大炊屋があったらしい。 塔跡の北に現河内国分寺がある… と思ったら、まだこの状態。 平成20年に設立した宗教法人だそうです。 河内国分寺だよりによると、この奥の山の中に磐座があるとか。 最後に、JRの車窓から見る。 確かに五重塔でも建っていたら目立つ立地だが、河内国の東に寄り過ぎているような気が。 奈良が中心の時代だから当然なのかも知れないですね。 |
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