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場所 大阪府羽曳野市軽里3丁目 再び大和琴弾原を飛び立った白鳥は、河内旧市邑(ふるいちむら)に舞い降りた。 最寄駅は高屋城でもご紹介した近鉄南大阪線古市駅です。 国道170号線白鳥交差点の南に参道入り口がある。 「日本武尊御陵参拝道」の碑が目印。 足元の印に沿って進む。 すぐに大きな古墳が見えてくる。 堀もかなり大きい。 この大きな古墳の名は前の山古墳(軽里大塚古墳)といい、ヤマトタケルの墓と云われている。 説明板。 【白鳥陵古墳(前の山古墳)】 白鳥陵古墳は、墳丘長190mの前方後円墳である。 古墳が造られた年代は、前方部が後円部より高い墳丘の形や、発見された埴輪の特徴から古墳時代後期(約1500年前)と考えられている。 この古墳は現在、宮内庁によって景行天皇の皇子であった「日本武尊」の陵墓とされている。 また「記紀」には日本武尊の白鳥伝説が記されている。 【白鳥伝説】 日本武尊が全国各地に遠征し、その帰途伊勢の能褒野で息をひきとった。 武尊は、白鳥に姿を変え大和の琴弾原を経由し古市に飛来したことが日本書紀に記されている。 その後、埴生の丘に羽を曳くがごとく飛び去ったという伝説である。 この白鳥伝説が「羽曳野」の地名の由来になっている。 墳丘長190mという大きさ。 今まで見てきた白鳥陵の中で一番大きい。 木が生い茂っていて良く解らないが、上から見ると立派な前方後円墳。 宮内庁を管理しており、堀を挟んで対岸から仰ぎ見る。 その後、白鳥は天に向かって飛び去ったと云う。 (おまけ) 近くの駐車場。 古市大溝という古代の人工の水路の名残。 説明板。 【古市大溝】 この付近に最近まであった東西に細長く延びる細池は、古市大溝という古代の大規模な人工の水路の名残である。 古市大溝は地表に残るわずかな痕跡や、発掘調査の成果を手掛かりにすると、富田林市の喜志付近で石川の水を取り入れ、羽曳野市の西浦から軽里、野々上、高鷲を経て、島泉付近で東除川に合流していたことが推定される。 幅20m、深さ5m以上の溝の両側には、さらに土手を築いたところもあり、人力だけで堅い大地を堀り開く、困難な大工事であったことが想像できる。 『日本書記』には仁徳天皇(5世紀)の記事として、感玖に大溝掘って引いた石川の水で広い水田を潤したとあり、古市大溝をこれにあてる説がある。 また、6世紀前半につくられた古墳を破壊して、溝を掘っている場所があることから、それよりも新しい時期の灌漑用の水路や、物資運搬のための運河と考える説もある。 今度は古市駅の東側にある白鳥神社。 説明板 【『歴史街道 白鳥神社(しらとりじんじゃ)】 白鳥神社の社伝によると、寛永年間(1624-43)末期、軽墓(軽里)の伊岐谷にあった伊岐宮を、古市村の産土神として現在地に移築したとあります。 伊岐宮には日本武尊が祭られていましたが、南北朝や戦国時代の兵火によって消失し、峯ヶ塚古墳にある小さな祠として存在していました。 しかし、慶長の大地震(1596)で倒壊すると、そのまま放置されたといわれています。 享和元年(1801)の河内名所図絵には「伊岐宮、誉田の南、五町、古市村にあり、日本武尊の霊を祀て白鳥明神と称す。古は伊岐谷にあり、後世、ここに勧請す。相殿牛頭天皇、婆利賽女を併祭る。此処の生土神とす。」とあります。 現在は、日本武尊と素戔嗚尊を祭神とし、秋祭りには東町・西町・南町・北町・中之町・堂之内町の地車(だんじり)が町内を練り歩きます。 羽曳野市 |
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月の輪殿さん、奈良にある日本武尊のお墓の案内板でも、亡くなったのは伊勢とありますね。
亀山の近くで亡くなったのは、ほぼ確定なのでしょうか?
その後、白鳥になって飛び去ったというのも各地で同じ伝承なんですね。
とっても勉強になりました!
WPいきますね!
2011/10/17(月) 午後 10:14
Shaneさん
日本書記と古事記のどちらも共通していることから伊勢と言われているようですが、何故近江の伊吹山まで行ったのにそのまま琵琶湖沿いを西進して大和へ向かわずにわざわざ伊勢へ迂回したのかが疑問。
白鳥になったのは共通しているようですが、和泉の大鳥大社から飛び立ったとの説もあるとか。
2011/10/18(火) 午前 0:09