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場所 福井県越前市京町1丁目6-2 【越前国分寺】 天平11年(739)聖武天皇の勅命により、越前国の国分寺として建立された。 当時の越前国は今の石川県をも行政下にあった国内有数の大国であった為国分寺の規模も国内屈指のもので、三大国分寺の一つに数えられた事もある。 当時は七堂伽藍を連ねしも、度々の火災によりその面影を留めないが、行基菩薩一刀三礼の御作で、聖武天皇御拝礼の故を以て天拝を称し奉ると伝えられている「天拝薬師如来」が奇跡的にも難を免れ、現在本尊として安置されている。 武生市 武生市観光協会 最寄駅であるJR北陸本線武生駅から西へ約500mの街中に小さな寺がひっそりとある。 この寺が越前国分寺という。 先日ご紹介した伊勢国分寺同様、とても聖武天皇の詔で建てた寺とは思えないほどの寂しさ。 しかし、国分寺の扁額がちゃんとあった。 かつては七堂伽藍を連ねていた国内屈指の寺だったと云うが、誰も居ず御朱印も貰えず、虚しく退散。 さて、越前国分寺はさらに2kmくらい西の大虫本町にあったとの学説がある。 行ってみる。 最寄のバス停は福鉄バス村田工場前ですが、めったに走って来ません。 武生駅からは頑張って歩いて約30分です。 福井村田の工場が目印。 工場前の付近図。 工場の西側にある駐車場の真ん中に「大虫廃寺塔跡」がある。 地図通り工場の西側を南へ進む。 「大虫廃寺塔跡⇒」を右折。 駐車場の真ん中に基壇が見えます。 近づいてみる。 碑と説明板。 説明によると、7世紀末から8世紀末に存在していた塔で、三重から五重の塔が建っていたと推定されるとのこと。 もう一つの説明板。 【大虫廃寺塔跡の由来】 この周辺一帯は大虫扇状地の末端にあたります。 いまから1300年ほど前の奈良時代に周辺の民家を圧倒する大寺院が、この廃寺塔跡を中心に建立されていました。 昭和41年(1966)から、これまでに4回遺跡の発掘調査が行われ、数多くの瓦などが、出土、七堂伽藍の一つである五重塔(または三重塔)の、基壇と礎石が確認されました。 8世紀後半の頃にはこの大虫廃寺が「越前国分寺」に転用された可能性が高いと言われています。 【鬼ヶ嶽と丹生の山辺】 天平勝宝2年(750)4月3日に越中の国守大伴家持が、越前の国府に勤務していた国司大伴池主に贈られた歌があります。 われのみし聞けばさぶしも ほととぎす 丹生の山辺にいゆき鳴かなも 「丹生の山辺」とは鬼ヶ嶽(旧名丹生ヶ嶽)と、池元大虫地区の山々を指しており、この辺りに池主の公館があったことを示しています。 また、池主が勤務していた「越前国府」も、遠くないところに置かれていたことを伺い知ることができます。 ○古代丹生郷の地からは、ヒスイの大珠や「司人」の墨書土器が出土しており、ここからも往時の大虫を偲ぶことができます。 平成17年3月 のびゆくおおむし振興会 大虫郷土史クラブ 基壇上部の様子。 礎石。 基壇をもう一度。 基壇や礎石の大きさから五重塔のものにして小さすぎるのではと、武生公会堂記念館の学芸員の方が言っておられました。 周辺からは金堂などの遺構が出土していないことからも、ここが越前国分寺だったかどうかは定かではないですが、この周辺から奈良時代の物が多数出土していることから、いずれ何か解かるのではと期待されている。 三大国分寺の一つに数えられた越前国分寺が早く見つかるといいですね。 |
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