【篠村八幡宮由緒】
1、主祭神 誉田別命(応神天皇)、仲哀天皇、神功皇后
1、摂末社 乾疫神社、稲荷神社、祖霊社、祓戸社、小宮社四社
1、例大祭 9月15日放生会、10月25日秋期例大祭、1月19日乾疫神社例大祭
1、由 緒
由緒書きや本殿棟札によれば、延久3年(1071)後三条天皇の勅宣によって、奥州鎮守府将軍・河内守源頼義が、河内国(大阪府羽曳野市)応神天皇陵に鎮座の誉田八幡宮から御祭神を勧請し創建されたと伝えられる。
延久4年(1072)5月13日付の源頼義の社領寄進状も現存する。
藤原氏によって開かれた篠村の荘園ではあったが何時の頃からか源氏が相伝する所となり、頼義が河内国守となった縁で自身の荘園内の当八幡宮の原初の祠に誉田八幡宮の御分霊を勧請したものであろう。
源頼義から十代末裔の足利尊氏は、元弘3年(1333)4月29日、当社に戦勝祈願の願文を奉じて十日間滞在の後、首尾よく六波羅探題を滅ぼして建武中興まきっかけを掴んだ。
また、後醍醐天皇と決別後の建武3年(1336)1月30日、一旦占拠した京都攻防戦で敗れ、2月1日まで当社で敗残の見方の兵を集めるとともに社領を寄進、再起をを祈願して九州へ逃れた。
敗走後一ヶ月で九州全土を平定、5月の湊川の合戦で決定的な勝利を得て室町幕府開幕のきっかけを掴んだ。
尊氏にとって二度の重大な岐路で当社に祈願を込めて大願が成就していることから、尊氏自身貞和5年(1349)8月10日に当社にお礼に参拝している。
尊氏を始め歴代将軍家から多くの荘園の寄進を受け、室町時代を通じて当社は大いに栄え、盛時には社域は東西両村に及んだ。
後、応仁の乱や明智光秀の丹波平定の戦火によって社殿や社領の多くを損失した。
寛永年間(1624〜43)亀山城主菅沼定芳によって本殿改修がなされ、以来、源姓亀山城主の直轄神社として歴代藩主による庇護を受けた。
足利尊氏旗揚げの「願文」や「御判御教書」(寄進状)が伝わる。
境内には、玉串に添えて奉納の鏑矢を納めた「矢塚」、本営の所在を示す源氏の白旗を掲げた「旗立楊」が残る。
昭和61年、境内全域が「足利尊氏旗挙げの地」として亀岡市の史跡に指定された。
月の輪殿さん、篠村八幡宮は足利尊氏が旗揚げした神社なんですね。源頼義のゆかりの神社でもあるんですね。
馬堀駅、嵯峨野観光鉄道に乗った後、歩いていきましたが、ここにお城があったんですか。
WPいきますね〜
2011/11/18(金) 午後 4:48
Shaneさん
馬堀城は城があったとは解らないですね。
地元の高校生が模型を上手に作ってくれたのに日の目を見ないのが残念です。
2011/11/18(金) 午後 9:50