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場所 京都府亀岡市河原林町河原尻 丹波国分寺の西約450mの所に丹波国分尼寺があったと云う。 丹波国分寺跡から細い道を抜けてきました。 京都府道405号線を渡る。 さらに西へ少し下って行く。 下ってきた道を振り返る。 ここは丹波国分尼寺の境内だと云う。 民家の庭辺りに金堂があった。 失礼しま〰す。 民家の建っている辺りが講堂跡。 道の反対側の栗林辺りが中門跡。 向こうに土盛りがあるような… Y字路を南東へ。 ここに錆びれた説明板が建っています。 説明板。 【御上人林廃寺(丹波国分尼寺)】 御上人林廃寺の発掘調査は、昭和47年の開発工事によって堂跡基壇が発見されたのに端を発し以後6次にわたって行なわれてきたが、当廃寺が丹波国分尼寺跡であると推定できるようになりました。 御上人林廃寺は南大門跡・金堂跡・講堂跡が南北一直線上にあって、いわゆる東大寺式伽藍配置をもつものです。 寺域は一町半(約165m)四方で、周囲に土塁をめぐらし、その南限が条里の東西線に合致しています。 建物跡各々の規模は南大門跡が東西約15m、南北奥行約10m、金堂跡が東西約27m、南北18m、五間四面の建物跡が想定されます。 また講堂跡は東西25.8m、南北16.8mでやはり五間四面の建物跡が確認されました。 また出土建物では、国分僧寺で出土したものと同じ文様をもつ軒瓦が出土しており、その他奈良時代から平安時代にわたる須恵器や土師器・緑釉陶器・青白磁器等の土器類が出土しています。 これらのことも当御上人林廃寺が丹波国分尼寺跡と推定する根拠となっています。 国分寺とは、天平13年(741)2月、聖武天皇の発願により国ごとに建立された寺を言い、金光明四天王護国之寺(僧寺)・法華滅罪之寺(尼寺)の二箇寺で構成されます。 また国分寺(僧寺・尼寺)の調査は、単に寺跡の調査にとどまらず古代地方都市の政治的・文化的背景を知る重要な手掛りとなるものです。 なお、丹波国分寺(僧寺)は、当御上人林廃寺から東へ約400mのところにあり現在塔跡等の礎石が残り、国の史跡に指定されています。 |
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