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所在地 京都市一乗寺松原町6 山号 狸谷山 宗派 真言宗修験道大本山 本尊 咤怒鬼(タヌキ)不動明王 創建 享保3年(1718) 開基 木食上人正禅 【狸谷不動明王の信仰】 ご本尊「不動明王」は平安京の城郭東北隅に鬼門守護として、桓武天皇勅願により祭祀されたもので、以来タヌキ(咤怒鬼)不動明王として悪鬼退散の霊験著しく、鎌倉時代建長年間(1249)に洞窟に安置され、公家殿上人をはじめ、都人の尊崇の的であった。 慶長9年(1604)には、剣豪宮本武蔵が滝に打たれて修業を続け、己に克つ不動心を感得し、享保3年(1718)には、木食上人正禅が現内陣で洞窟を改修、17年間参籠し、菩提心の開発に努め、狸谷修験者の先駆となる。 その後、修業場として、各地から、参籠者が馳せ参じたが、世の変遷と為政者の干渉などあり、明治の廃仏毀釈には、あたら霊仏が草深く埋もれると云う、歎わしい事態となり、次第に、荒廃したのである。 明治の後期に至り、郷土の有志が集まり、由緒あるご霊仏の再現を強く願い、山を伐り道を拡げて、信心の針路を打ち立てたのである。 かくして昭和19年(1944)請われて、大僧正亮栄和尚上が入山、「修験道大本山一乗寺狸谷山不動院」として寺法を制定、狸谷山開山第一世貫主として、自から、宗派を超えた寺院を再興したのである。 時あたかも人心の低迷した戦後、勇気と活力を与え給うご本尊のご威徳は、愈々遍満し、祈りある者、必ず救われるの霊験宣布により、”タヌキダニのお不動さん”の御名が天下に響きわたり、関西随一の信仰霊場として、大躍進が続けられたのである。 ご本尊の大威神力は、帰依する者の左右を離れず、衆生の願いに随って利益を与え給うの本誓を発揮して、縦横無尽に衆生を済度するのである。 (パンフレットより) 最寄駅は叡山電鉄一乗寺駅。 駅から真っ直ぐ東へ。 途中に詩仙堂があります。 ここまでは、詩仙堂の記事をご参照。 詩仙堂の先、八大神社の脇をさらに登って行きます。 八大神社は宮本武蔵決闘の地として知られていますが、かえって「北の祇園」と称される神社であるという本来の姿が薄れている感じがします。 八大神社前の布袋。 「布袋ほてい ふとる家※は 福の神 千恵のおやどで 憩います…」 ??? 少し登ると西園寺公望の長屋門が移築されている。 新選組に追われて隠棲した丹波須知村の寓居のあった門と云う。 隣は一乗寺降魔不動明王。 宗教法人悟心会 野仏庵の正門があり、中には茶室があるらしい。 一般公開は毎週水・土・日だそうです。 5分程登ると車の列が見えてきました。 境内案内図。 左側に交通安全自動車祈祷殿。 車がひっきりなしにやって来る。 祈祷が終わったら、ステッカーを車に貼る。 車の人はここで祈祷をして帰ってしまうが、この先に本殿がある。 道路脇にある世継ぎ地蔵尊。 崖下に修行の滝がある。 参道入り口。 たくさんのタヌキと共に阪神タイガースの優勝記念碑が建っている。 寺なのに鳥居? 修験道は神仏習合だそうです。 ミニ千本鳥居の階段を登る。 白竜弁財天。 中の様子。 鳥居を抜けた所が50段目。 あと200段あるのか〜 脇に七福神。 69段目。 迎え大師。 錫杖を鳴らしてからお参りする。 99段目。 ふぅ〜 126段目で一休み。 弘法大師光明殿。 周囲を四国八十八ヶ所お砂踏み霊場が廻る。 何と、これを88枚踏むことにより、四国遍路と同じ功徳が得られるという。 簡単そうだが、熱烈な信者が一ヶ所で長いこと踏みとどまってお祈りするので、全部踏めなかった… さらに登る。 階段を登りきった所が本殿下。 206段目。 振り返る。 こわ〰い。 紫灯護摩道場。 護摩壇。 7月には火渡り祭が行われる。 三社明神堂。 トイレの神様 手水舎。 本堂へは、直登する男厄坂と、 緩やかな女厄坂がある。 女厄坂を登る。 途中にある宮本武蔵修行の滝。 恵比須、大黒天。 さらに坂を登る。 坂の途中から本堂を見る。 清水寺のよう。 大きな弓と矢が飾ってあった。 水かけ水子地蔵尊。 信徒会館へ。 ここで男厄坂と合流。 250段目。 1月28日にはガン封じ笹酒が無料で振舞われる。 飲み放題らしい。 本堂へ、と思ったら入山料500円とのこと。 なにぃ〰! 本堂といっても特に国宝や重要文化財があるわけではありません。 強いて言えばココ。 『恋するハニカミ』のロケ地とか。 観ていないので解らなかった。 木々の間から京都市内が僅かに見渡せた。 これで500円は高い! 最後に御朱印。 何でこんなに人気があるのかな? きっと、ご利益があるということなのだろう。 |
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