|
登城日 1回目 1991年頃 2回目 2012年 1月 3日(火)曇 難易度 ☆ 場所 京都市左京区北白川清沢口町 狸山谷不動尊信徒会館の奥にある奥の院への道。 正月早々とは思いつつ、直ぐに登れるので行ってしまった… 三十六童子順拝道。 第一番こんがら童子。 「守ろうね 僕も私も緑の山を」 第二番せいたか童子。 「心がけ 一つで減らす 火災事故」 元勝軍地蔵尊道。 瓜生山への近道。 第三番ふどうえ童子。 「小さな注意が自然を守る」 第四番こうもうしょう童子。 「使う火を 消すまで離すな 目と心」 第五番むくこう童子。 「こわすまい みんなで守ろう 自然の美」 第六番けいしに童子。 「忘れまい 心のページに119」 第七番ちえどう童子。 「火の用心 吸って良いとこ悪いとこ」 第八番しったら童子。 「汚すまい みんなの通る道だもの」 こんな山道がしばらく続く。 第九番ちょうしょうこう童子。 「気をつけよう 火が出てからではもうおそい」 第十番ふしぎ童子。 「たしかめよう 吸ったタバコの後始末」 第十一番あらたら童子。 「大切な緑を守ろう みんなの防火」 第十二はらはら童子。 「これくらいと 思う油断を火がねらう」 土塁のような稜線が見えてきた。 第十三番いけいら童子。 「気のゆるみ心のゆるみが火事を起す」 第十四番こくうぞう童子。 「心がけ一つで守る良い環境」 第十五番ししえ童子。 「火の用心 一人ひとりの心がけ」 第十六番あばらち童子。 「落葉道 タバコいっぷく 後始末」 第十七番じけんば童子。 「守ろうね 僕も私も緑の山を」 第十八番りしゃび童子。 「心がけ一つで減らす火災事故」 第十九番ほうきょご童子。 「小さな注意が自然を守る」 ここで元勝軍地蔵尊道と合流。 第二十番いんだら童子。 「使う火を消すまで離すな目と心」 ここで道が二手に分かれる。 左折して登って行くと本丸にある奥の院へ近道。 しかし、ここまで来たら順拝道を真っ直ぐ進むこととする。 第二十一番たいこうみょう童子。 「こわすまい みんなで守ろう自然の美」 あと350m。 第二十二番しょうこうみょう童子。 「忘れまい 心のページに119」 第二十三番ぶつしゅご童子。 「火の用心 吸って良いとこ悪いとこ」 第二十四番ほうしゅご童子。 「汚すまい みんなの通る道だもの」 第二十五番そうしゅご童子。 「気をつけよう 火が出てからではもうおそい」 ここから先は鎖を伝って厄除坂を下る。 第二十六番こんごうご童子。 「たしかめよう 吸ったタバコの後始末」 第二十七番こくうご童子。 「大切な緑を守ろう みんなの防火」 こんな危ない橋を渡る。 第二十八番ししこう童子。 「これくらいと思う油断を火がわらう」 木々の間から狸谷山不動尊の本堂が見えました。 結局、登った分だけ下りてきたことになる。 一から出直し。 第二十九番ほうぞうご童子。 「気のゆるみ心のゆるみが大事を起す」 第三十番きっしょうみょう童子。 「心がけ一つで守る良い環境」 第三十一番かいこうえ童子。 「火の用心 一人ひとりの心がけ」 土橋のような稜線を進む。 第三十二番みょうくうぞう童子。 「落葉道 タバコいっぷく後始末」 白幽子旧跡をへて北白川仕伏町へ行く道と合流。 本丸はもうすぐ。 第三十三番ふこうおう童子。 「たしかめよう 吸ったタバコの後始末」 第三十四番ぜんにし童子。 「こわすまい みんなで守ろう自然の美」 第三十五番はりか童子。 「守ろうね 僕も私も緑の山を」 第三十六番うばけい童子。 「落葉道 タバコいっぷく後始末」 曲輪がありました。 本丸到着。 説明板。 【瓜生山頂】 標高301m(仕伏町から標高差200m) 北白川城本丸跡 元勝軍地蔵 日本列島がまだ現在の形に固まらない遥かな昔、この瓜生山の下へマグマ(高熱の岩奨)が貫入してきて比叡山より高い山が出来た。 両隣の大文字山北側や比叡山南側では、高熱のため古生層が変質して特殊な変成岩(ホルンフェルス)になった。 四明岳頂上に露頭する将門岩はその珍しい好例である。 一方、貫入したマグマは冷却して花崗岩となった。 上に冠った古生層が流れ去り、露出した花崗岩もまた太陽熱と雨水に浸食されて、永い年月の間に表面から徐々に崩壊して白川砂となって谷間を流下し、西南麓に緩斜面の広い砂質扇状地を形成した。 この北白川扇状地は、今から一万年も前、縄文時代の原始人にとっての好適な生活の根拠地となった。 この山が埋蔵する花崗岩(白川砂)は極めて良質だったから、その後平安時代以降、宮殿や寺院建築礎材に、また石仏や石燈籠など工芸的に利用され、千年の都ひとの生活を豊かにし、白川砂は枯山水庭園に重要な役割を持つことになった。 更に、この瓜生山山頂には、室町時代になると再々城郭が築かれ、南の如意ヶ岳城と共に足利将軍家、細川管領、三好長慶、松永久秀らが攻防をくり返した。 近江の戦国大名六角定頼がここへ安置したという将軍地蔵は、江戸時代に入っても痘瘡無難の守りとして庶民の信仰深く、北白川門跡寺照高院二品忠誉法親王は山路険岨を案じて、宝暦12年(1762)9月現在の勝軍地蔵山に石像を移された。 これは今のバプテスト病院の西山である。 そしてこの山頂お地蔵を安置した当時の石室だけが、奥の院と呼ばれる朱色のお堂の後方に残されている。 北白川愛郷会 周辺は数段の曲輪があちこちに見られた。 空堀、竪堀などもあるというが、雑木林が邪魔をして良く見えない。 (木を切ったらすばらしい遺構が現れるのだろう) 奥の院。 奥の院裏の元勝軍地蔵石室。 覗いてみる。 説明のとおり、江戸時代に麓に移されている。 正月早々なので、城郭探訪はここまでにして下山してしまった。 麓から瓜生山を見る。 縄張図を持って登城すれば良かったと後悔しました。 (おまけ) バプテスト病院の西の山上にあるという勝軍地蔵堂へ行ってみる。
北白川幼稚園の園内にあった。 しかしすでに廃屋だった。 北白川幼稚園の園長のブログによると、勝軍地蔵は京都造形美術大に隣接する禅法寺に移されたという。 行ってみたが見つけられなかった。 |
全体表示
[ リスト ]






月の輪殿さん、詩仙堂の近くに山城があったんですね。
色んな童子の標語にも見入ってしまいました〜
WPいきますね!
2012/1/8(日) 午後 11:05
Shaneさん
あの大文字の書いてある山も城なんですよ〰
京都は実は城がいっぱいありました。
しかし、どれも臨時の城がほとんどで、戦いが終わると埋没してしまったようです。
2012/1/9(月) 午後 8:32
思わず標語をずっと読んでしまいました、面白いですね、何故かタバコの火の事が多い気がします(笑)
2012/1/15(日) 午後 5:57
黒鍬さん
標語を見ると、何度か同じものが出てきます。
標語に夢中になってしまい、肝心の城址はほとんど見れませんでした。
2012/1/15(日) 午後 11:31
狸山谷不動尊の奥の院への道はこんな風になってるんですね。
本堂までで精一杯でこの先を行こうとは思いませんでしたA^^;
2012/1/28(土) 午前 11:51
京さんぽさん
コメント有難うございます。
本堂までかなりの石段ですが、実は既にほぼ頂上まで登っています。
童子を廻らなければすぐでした。
(行ってもこんな感じですが…)
2012/1/29(日) 午前 9:42