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場所 京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町 現在の八ツ橋にかかせない小倉餡発祥の由来の地です。 詳しい地図で見る 二尊院内に建てられている小倉餡発祥の地の碑の裏面と文面がほぼ同じでした。 【小倉餡発祥の由来】 日本で初めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは、京都に於いて平安京が出来て間もなくの820年のことであります。 当時、京のこのあたり小倉の里に亀の甲せんべいを作っている和三郎という人がいて、809年に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加え、煮つめて餡を作りました。 これを毎年御所に献上しました。 こうした菓子は極めて高価で珍しいものでありましたので、一般の庶民の口には入りませんでしたが、この和三郎の努力で京都を中心に小豆が広く栽培され、江戸時代には茶道の菓子となり、又一方では祝飯としてハレの料理にも加えられるようになりました。 更に空海は中国の亀の甲煎餅の技術も伝授し、京菓子の技術は日本の和菓子の源流となりました。 和三郎は承和7年(840)2月2日になくなりましたが、その子孫並びに諸国同業の人々がその功績をたたえて、小倉中字愛宕「ダイショウ」の里に一社を建て、朝廷の允許を得て、屋号が亀屋和泉でありましたので、和泉明神としてまつられるようになりました。 その後年月を経て明神の社は兵火に焼かれ、子孫も絶えて、只古老の伝承として小倉の地に和泉明神の杜があったと伝えられています。 津田左兵衛建之(六代)記 この碑が建っている場所は、「嵯峨小倉山緋明神町」。 和泉明神が地名の由来かと調べて見ると、落柿舎の西隣にある有智子内親王の陵墓に由来。 第52代嵯峨天皇の第8皇女だった有智子内親王の陵墓の上に小祠が建てられ「姫明神(ひめみょうじん)」と称されていたことが転化し、緋明神町(ひのみょうじんちょう)となったと云う。 帰り道、嵐電嵐山駅付近にある京菓子「老松」の店の前で、 「煎餅発祥の地」を発見! 説明板。 【嵯峨小倉の里 煎餅発祥の地】 往古このあたりは「野は嵯峨野さらなり」と枕草子の第一にも上げられ天皇、貴族は、ここで遊猟し若菜を摘んで遊楽をした。 山城国葛野郡嵯峨小倉の里の住人、和三郎なるもの帰朝した弘法大師空海より煎餅の製法を伝受されこれにより葛根、米の粉に果実の糖液を混合してこれを焼成亀甲煎餅として嵯峨天皇に献上した。 天皇は殊のほか賞味され以後、和三郎は亀屋和泉藤原政重と号し嵯峨御所菓子御用となった。 和三郎は、このほかにもいろいろの菓子を考案製造、諸国に広めた。 大同6年(806)の事と伝えられた。 店のショーケースには煎餅は無かった。 残念。 小倉餡だけでなく煎餅も考案した和三郎は偉大だったんですね。 |
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お煎餅についての別の話なのですが…
昔々「おせん」と言う団子売りのおばあさんがいて、
売れ残った団子をどうすれば良いかとお侍さんに相談すると、
平たく延ばして焼いてみれば?とアイディアを授けてくれました。
これが大ヒット!「おせん」の名前から「お煎餅」と名付けたとさ…
こんな内容の話を聞いた事あります…本当かなぁ(^-^ゞ
2012/2/1(水) 午後 11:12
るなさん
草加煎餅の話ですね。
知らなかった〜
この焼成亀甲煎餅は八ツ橋みたいな堅焼き煎餅のことと思われ、現在のいわゆる「煎餅」とは別のようです。
2012/2/2(木) 午後 10:04
近鉄小倉駅近く小倉公民館前に
玉露発祥地があります、
2012/5/29(火) 午後 6:32 [ 中路正樹 ]
今度行ってみます。
2012/5/29(火) 午後 8:56