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場所 鳥取県鳥取市国府町中郷
最寄駅はJR鳥取駅。
駅前バスセンター3番のりばで日ノ丸バス中河原線に乗って因幡万葉歴史館を目指します。
まずは、因幡万葉歴史館で情報収集。
古代の因幡国の事が学べます。
国府町案内図。
因幡万葉歴史館で、「万葉ふるさと国府 サイクリングマップ」を貰い、レンタサイクルを借りて出発!
振り返ると因幡三山の一つ甑山が見えた。
中世には山中鹿之助が陣取ったという甑山城があった。
まず、「庁」という集落に入る。
大伴家持の歌碑があります。
説明板。
大伴家持は、奈良時代の中級貴族。
三十六歌仙の一人で、万葉集の編者として有名。
天平宝字2年(758)には、因幡国守としてこの地に赴任。
この地で万葉集最後の歌を詠んだことから、因幡国府の地は万葉集編纂終焉の地とも。
「新しき 年の始めの 初春の
今日降る雪の いや重け吉事」
(新しい年の始めの、初春の今日降る雪のように、良いことが積み重なりますように。)
歌碑の入り口には「因幡国府普舊跡」の碑が建つ。
集落の地名は政庁を想わせる「庁」という名なので、ここが因幡国府の政庁跡かとつい思ってしまう。
しかし、因幡国府は歌碑のある地からさらに西へ約500m行ったところにある。
因幡国府の政庁跡は歴史公園として史跡整備されています。
遠くに因幡三山の一つ面影山が見えた。
大伴家持を偲んで、家持の義母である大伴坂上郎女が
「我が背子は 面影山の さかいまに 我のみ恋ひて 見ぬはねたしも」
と詠んだ歌が残っている。
説明板。
【因幡国庁跡】
因幡国庁跡は、奈良時代から鎌倉時代にかけて因幡国を治めていた役所の跡である。
歌人としても有名な大伴家持は国司として因幡国に赴任しており、天平宝字3年(759)正月に国庁で詠んだ歌「新しき年の始めの初春のけふ降る雪のいやしけ吉事」が万葉集の巻尾に収められている。
国庁跡は、昭和47年から始まった発掘調査にて確認された。
この時の調査により、建物跡や柵列、井戸跡、石敷など国庁のものと考えられる遺構が確認された。
国司が政務や儀式を行った正殿跡とみられる建物の規模は、桁行5間、梁間2間(12×4.8m)、南北両面に庇が付けられており、調査によって確認された建物群の中で中心をなすものと考えられる。
柱には、径30cm以上の檜が用いられていた。
また、正殿跡の北側には、後殿と考えられる建物跡が確認されている。
後殿の規模は、桁行5間、梁間2間(11.3×5.4m)で内部を3部屋に仕切る柱痕が確認されている。
柱材には、水上を運搬するために材を筏に組んだ際に紐を通した「えづり」穴があけられているものがあり、紐がこすれた跡もみられる。
これらの建物は、出土した遺物などから平安時代初め頃のものと考えられる。
正殿跡の南側約80mの位置には、南門跡が確認されている。
門の規模は、桁行7間、梁間2間(18.9m×7.8m)である。
門の南側前面には、河原石を敷き詰めた縁石があり、北側と東西両側には雨落溝が確認されている。
門の建築時期は鎌倉時代と考えられており、正殿、後殿とは時期が異なっている。
出土遺物には、「仁和2年(註:886)假文」と墨書で記された題簽(書物や文書につける見出しのようなもの)や、木簡、石帯(役人の儀式用の服の腰帯飾り)、硯、中国から持ち込まれた青磁の器などがある。
なお、因幡万葉歴史館では、当時の人々が身に付けていた衣装や国庁の模型が展示されており、往時の様子を偲ぶことができる。
平成22年12月
鳥取県教育委員会
因幡国庁跡案内図。
模型で見る。
正殿跡。
後殿跡。
正殿跡から南門跡を見る。
南門跡。
南門から見た因幡国庁の模型。
南門から見た政庁。
現在は鳥取が中心ですが、奈良時代にはここが因幡国の中心だったのですね。
田んぼの真ん中にあってとてもかつての様子が想像出来ないほどのどかな風景でした。
(おまけ)
大伴家持の歌碑近くにあった在原行平の歌碑。
「たちわかれ いなばの山の みねにおふる まつとしきかば 今帰りこむ」
説明板。
在原行平は業平の兄で、斎衛2年(855)因幡国守としてこの地に赴任した。
少し北に行った所にある庁の五輪塔。
地元では「イボイチさん」と呼ばれる。
説明板。
さらに北の町屋の宝篋印塔。
説明板。
最後にお決まりのマンホール。
町の木だった松、町の花だったさつき、そして日本滝100選にも選ばれた「雨滝」が描かれている。
因幡国府があったことに因んで「因幡のふる里」と書かれています。
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