|
場所 鳥取県鳥取市国府町国分寺 因幡国分寺跡は、因幡国府から南西約500mの所にあったと云う。 県道251号線の国分寺集落の入り口には「因幡国分寺跡入口→」の案内板が建っています。 少し進んで右折。 集落の真ん中に「国分寺の礎石→」の案内板。 矢印に沿って進むと、黄檗宗最勝山国分寺があります。 説明板。 【国分寺縁起】 当山は、仁王45代聖武天皇天平13年(741)、国家鎮護国土安穏の為に国毎に詔し、因幡国の此地に建立された勅願寺である。 国分寺略縁起によれば寺域弐町四方(215m)寺領懇田壱阡町を領し、七堂大伽藍にて七重の宝塔天高く聳え、金色に燦然と輝く法棟の美しさは遠近の集落に照暎して萬民の崇敬を集めた。 本尊は、薬師如来の木像、行基菩薩の作にて霊験殊の外著しく、因幡国はもとより諸国萬民信心渇仰する人、跡を不絶と其の隆盛が伝えられている。 平安末期佛教の衰微、戦国の乱世、元亀天正の時代に至り、不幸にして兵火に逢い、衰退の一途をたどる。 鳥取藩主池田候の時代(延宝2年)、興禅寺活禅和尚、名刹の衰頽を悲しみ再興されたのが現黄檗宗最勝山国分寺である。 更に明治29年地区民の再興の悲願と熱意により現寺院となる。 本尊は薬師如来座像である。 黄檗宗 最勝山国分寺 境内の様子。 かなり狭い。 境内隅に「因幡国分寺舊跡」の碑が建つ。 境内には、国分寺の礎石が置かれている。 国分寺の礎石と柱のイメージ。 説明板。 説明板によると、金堂はここではなく細男神社付近だったと云う。 伽藍推定図。 最後に、因幡国分尼寺跡へ向かいました。 |
全体表示
[ リスト ]





いろんな地の国分寺を巡るのも面白いかもしれませんね。
うちから近い所にも国分寺跡ありますよ。
昔の行政区画毎で作っていたから、国分寺は多いんでしょうね。
2012/2/6(月) 午後 11:32 [ mat**u_p*pa ]
よく考えると、諸国の国分寺って、今はどこも荒廃して寺跡しか残ってないですよね。
後々の人たちは、国分寺を大切にしなかったんでしょうかね?
2012/2/7(火) 午後 9:49
マッツゥさん
国分寺は各国毎に造られたのでたくさんあります。
それが一度に造られたというのですからスゴイ事業だったのでしょうね。
当時の人は驚いたことでしょう。
2012/2/7(火) 午後 10:50
大納言殿
せっかく造った大寺院が東大寺以外残っていないのは残念です。
(大納言殿は近所で羨ましいです。)
2012/2/7(火) 午後 10:51