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登城日 2011年11月26日(土)晴 難易度 ☆ 場所 滋賀県長浜市小谷丁野町 浅井氏発祥の地である丁野の岡本神社。 ここから東へ650mの所に脇坂安治生誕地があるという。 小谷山へ向かって進む。 北国街道と交差。 どんど渕。 説明板。 脇坂安治生誕地の看板。 国道からさらに東へ。 小谷山の西麓へ向かう。 木立の道の脇に門跡の碑が建っていた。 何の門かは解らず。 道の突き当りに屋敷跡がありました。 石垣が見られました。 屋敷跡の様子。 屋敷跡の北側。 奥に「脇坂甚内安治屋敷跡」の碑が建つ。 説明板。 【脇坂甚内安治屋敷跡】 脇坂家の始祖甚内安治は、天文23年(1554)この地に生まれ、浅井氏の家臣脇坂安明の養子となる。 小谷落城後、羽柴秀吉に従し、賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としてその功績を認められ、徳川時代となって伊予大洲5万3千石の領主として寛永3年(1626)に73歳で没した。 脇坂氏は三代目安政より播州龍野城主として今日に至る。 さらに東へ続く道。 小谷城へ続いている。 しかし、熊出没注意! 屋敷跡の中央に観音堂と五社大明神(稲荷神社)跡がある。 顕彰碑。 岡本神社の観音堂と稲荷神社の故地と云う。 最後に、脇坂安治産湯の池。 説明板。 【脇坂安治産湯の池】 本社稲荷神社は俗称明神様と呼ばれ旧脇坂村の氏神として祀られてきた。 明治41年、丁野区岡本神社が村社として昇格の際、同地に合祀されることになった。 この地は安治産湯の池として古くから伝えられ、付近の住民より聖地として存続されてきたものである。 脇坂安治は、賤ヶ岳の七本槍の1人に数えられるなど武功を重ね、伊予大洲藩初代藩主となる。
その子孫は龍野藩主として幕末まで存続。 また、京都伏見の中書島は、脇坂中務少輔(唐名で「中書」)安治の下屋敷があったことに由来。 |
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