|
登城日 2011年12月30日(金)晴 難易度 ☆ 場所 群馬県高崎市吉井町吉井 最寄駅の吉井駅へは、JR高崎駅で上信電鉄に乗り換えて行きます。 約30分乗って最寄駅の吉井駅に到着。 駅舎内。 懐かしい感じ。 この駅は多胡碑の最寄駅でもある。 たまに一般公開している。 説明板。 説明板。 【吉井藩陣屋の表門】 この表門は、吉井藩陣屋が宝暦2年(1752)に矢田から吉井に移った後に建てられ、建造年月日は不明で、ほぼ二百年を経ている。 明治4年の廃藩置県に陣屋も解体されて、この表門も売却され東深沢の民家に移築、昭和45年に当主新井潔氏が吉井町に寄贈しこの地に復元した。 間口5.8m、奥行2.47m、高さ5.37mあって、控柱から架けられた梁によって切妻屋根が前方へ持ち出しになり側面が非対称形になっている。 鬼瓦に家紋の「丸に葉牡丹」が示され、屋根は軒反りがあったが移築の際に直線屋根になった。 板扉は矢弾を通さないといわれる「さいかち」(マメ科)の材がつかわれている。 復元は昭和48年3月 【吉井藩と陣屋】 吉井藩は京都鷹司家の出である信平を祖とする。 石高は壱万石にすぎないが徳川親藩として松平姓を名乗り江戸城中では重きをなしていた。 藩主は江戸定府で陣屋を置いて藩治に当らせた。 陣屋は始め木部村(高崎市)、次いで矢田にあったが、宝暦2年にこの地に移った。 11代信発は水戸家蟄居(勤皇党の過激活動に対して)の大任を無事に果たした名君である。 なお、12代信謹は他藩にさきがけ明治2年に版籍奉還をして、吉井藩知事に就任した。 陣屋の概要は図の通りで位置は現在の「旧陣」一帯の地である。 周囲に堀と土手をつき、その上に松と欅を植え、東南に表門を設けた。 高崎市教育委員会 移築門を裏から見る。 吉井郷土資料館で情報収集したかったが開いてなかった。 資料館側から移築門を見る。 説明板に書かれた略図によると、吉井藩陣屋は、駅と移築門の間にあったと云う。 通り過ぎてしまった… 大手道を見る。 大手道を進む。 吉井陣屋の南側付近。 土塁は無いが、跡地に沿って道が残る。 道を進むと南西隅の土塁が残る。 (車邪魔だな〜 別角度。 吉井藩陣屋内春日社跡の碑と説明板が建つ。 【春日社跡】 ここは吉井藩陣屋の西南隅にあたり、春日社跡である。 藩主家(藤原氏の直系鷹司家の出)氏神の春日社を奈良より勧請し寛政3年(1791)、陣屋内に祭る。 その後八幡宮に合祀される。 陣屋は東西約240m南北160mで、東南に表門(資料館前移築)があった。 古井戸、武家屋敷が現存する。 春日社跡には、「吉井藩治碑」大正6年(1917)建碑と、「皇太后、皇后陛下御駐輦遺跡記念碑」大正10年(1921)建碑がある。 また欅の大木の切株が残る。 高崎市教育委員会 吉井藩治碑。 皇太后、皇后陛下御駐輦遺跡記念碑。 欅の大木の切株。 土塁上から陣屋内を見る。 井戸は解らなかった。 蔵っぽい建物があった。 土塁を後にする。 北西隅から東を見る。 現存長屋。 旦さま&るなさん情報。 別角度。 カラフルやな〜 かなり改築されているそうです。 陣屋跡北側と駅前通りが交差するところ。 通り過ぎるのは当たり前。 こりゃ解からん。 さらに東へ進む。 道の右側が陣屋跡。 北東隅から西を見る。 南を見る。 南東隅付近から北を見る。 隅はちょっと手前だったらしい。 移築門があった付近。 一周してみたが、南西隅の土塁以外はさっぱりだった。 (おまけ) 吉井陣屋南西隅から吉井小に沿って真っ直ぐ西へ進む。
突き当りに吉井八幡宮がある。 境内の様子。 本殿。 説明板。 春日社を合祀している。 |
全体表示
[ リスト ]







あれれ裏からの陣屋門は少し傾いている気がします(^-^ゞ
人さまのお宅なので何ですがこの長屋は江戸時代というより
ザ・昭和を感じます。でも今も長屋として機能しているのには
驚き☆ポチ。TB返しを(*^ー゜)b
2012/4/1(日) 午後 7:55
るなさん
TB有難うございます。
傾いているのは陣屋門ではなく撮影している人です(笑)
2012/4/1(日) 午後 10:46
月の輪殿さん,この記事を見逃してました(^^;
吉井陣屋に行かれたんですね〜
昨年末に行ったところなので,懐かしいです!
WPいきますね〜
2012/5/7(月) 午後 9:49
Shaneさん
昨年末とは同じ頃ですね。
2012/5/9(水) 午後 8:00