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登城日 2012年 4月 7日(土)晴 難易度 ☆ 場所 愛知県岩倉市井上町井出北 最寄駅は名鉄犬山線石仏駅。 名神高速道路を潜り、北東へ歩くこと約500m。 五条川に架かる井上橋を渡る。 五条川の東側に井上城があったと云う。 井上橋を渡った所にある神明神社。 藩屏。 拝殿。 境内に堀跡が残っているということなのですが… 良く解らなかった。 神明神社の裏へ進む。 井上城の碑と説明板が建っている。 説明板。 【井上城址】 昭和50年3月27日指定 井上城は、「尾張古城志」に 井上村 古城一所 城主未詳 按るに嘉吉年中重松主水正者住む当蓋し此城なるか とあり「張州府志」には 在井上村、遺址尚存。 然不如司人所在。 按尾州古城志日嘉吉年中有重松主水正者住此村。 是其地。 また、(「尾張徇行記」も同文)や「尾張志」にも同じような記述があり、これらの書物から、嘉吉年中(1441)の城主は重松主水正に擬せられている。 市域に残る井上城関係での最も古い文書「貴籍」では、城主を有馬主殿正とし、応永(1394)から嘉吉(1441)年間にかけて城があったといわれている。 しかし、いずれも簡単な記述であり、全容については解明されていない。 井上城は、城というよりも館といった方が適当かと思われる館城で、防御を重点とした戦国の城でもなければ、御殿というものでもなく、その中間的なもので、簡単な防備と極く質素な建造物で構成された館ではなかったかと想定されている。 岩倉市教育委員会 もう一つの碑。 【井上城址】 この城は、南北朝の頃、豪族有馬氏によって築かれた城で、有馬氏はここに居城して、井上の庄岩倉市一円と近村合せて17ヶ村を領有していた。 然るに、嘉吉3年(1443)有馬主殿正のとき、時の尾張守護代下津の城主織田郷広から帰順を命じてきた。 更に、宿老伊藤源内も重ね重ね帰順を進言したが応ぜず、却って退け守護代に反したので、守護代織田郷広に攻められ遂に落城した。 岩倉市文化財保護委員会 碑の裏に櫓台のような高まりがある。 登って行くとまた碑が建っています。 城址碑と祠。 城址碑の横に建つ石碑は掠れて良く見えなかった。 帰りの駅で見かけた看板。 ご子孫の方かな? 碑が無ければここに城があったとは解からない井上城でした。 (おまけ) 岩倉城へ来た時に見れなかった五条川の桜。
名神高速道路の高架。 桜並木が途切れた所は桜の絵で。 鴨も花見。 行けども行けども桜並木。 一駅分歩きましたが桜並木はまだ延々と続いていました。 流石さくら名所100選の地。 お祭り広場。 一杯やっている人がたくさんいました。 日が落ちていきます。 夜桜のライトアップ。 ライトアップも延々と続いていました。 露店が建ち並ぶ。 シロコロホルモンが一番人気だった。 お祭り広場へ戻る。 「岩倉やきそば」なるもの発見! 赤味噌ベースのソース焼きそばの上に温泉玉子がのっている。 まあまあかな。 こちらは、岩倉市PR大使い〜わくん。 マンホールも桜並木の五条川とこいのぼり。 岩倉駅近くの米乃家。 花より団子。 桜ふぶき団子がうまかった。 桜だらけの五条川は圧巻でしたが、あまりに桜が多すぎて、却って疲れました。 |
城
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井上城…はじめて知り勉強になりました(*^ー゜)b
シロコロホルモン美味しいですからね。
でも焼くのに手間がかかりそうでお客さんはけるのに時間が
かかりそう…
2012/5/27(日) 午後 10:03
B−1グランプリでも行列で食べれず。
ここでも食べれず。
未だ食べたことがありません。
2012/5/27(日) 午後 10:05