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(もどる) 本丸にあった説明板。 【国史跡八上城跡】 指定年月日 平成17年3月2日 八上城跡は、戦国時代に多紀郡(現篠山市)を支配した波多野氏の五代にわたる居城である。 初代清秀は、応仁の乱(1467〜77)の戦功によって、室町幕府管領細川政元から多紀郡を与えられ八上へ入る。 その後、波多野氏累代は、戦国時代を通して勢力を蓄え、大永7年(1527)に管領細川高国を放逐、天文7年(1538)に丹波守護代内藤氏を攻略、永禄年間(1558〜69)には三好長慶や松永久秀と戦いを繰り広げる。 波多野氏は、まず奥谷城(蕉丸)を、続いて本城の八上城、さらに殿町にあった城下町を守るため支城の法光寺城を築き、一帯を一大要塞化し、大規模な戦乱に対応した城造りを進める。 天下布武を目指す織田信長が上陸すると、五代の秀治はそれに従わず、信長が派遣した明智光秀の攻勢を受ける。 光秀は八上城の周囲に付城を巡らし、八上城を徹底包囲する。 天正7年(1579)6月、一年にわたる籠城戦の末八上城は落城し、秀治ら兄弟3人は安土城下に移され落命する。 落城後の八上城は、前田茂勝ら豊臣氏に縁する大名の城として使われる。 しかし、関ヶ原の戦い(1600)によって、徳川家康が天下を押さえると、豊臣秀頼の拠る大坂城を包囲するため、慶長13年(1608)に、江戸幕府から篠山城築城の命令が出され、八上城は百年余りわたる歴史を終える。 篠山市教育委員会 八上城跡周辺の中世城郭 二の丸南側の上段に帯曲輪。 本丸南側帯曲輪の様子。 本丸南東下の曲輪は少し広い。 本丸北側帯曲輪の様子。 帯曲輪から見る。 本丸への虎口かな。 本丸北側に石垣が残る。 本丸北東の岡田丸。 岡田丸から本丸を見る。 この辺りは石垣が良く残る。 藤ノ木口側から本丸へ。 本丸に建つ「贈従三位波多野秀治公表忠碑」。 公爵毛利元昭の揮亳による昭和7年建立のもの。 本丸から城下を見下ろす。 眺望は良くない。 本丸を二の丸側から見る。 藤ノ木口側から本丸を下りる。 約3分で北側に土塁のある細長い曲輪に到達。 蔵屋敷と伝わる。 先端には櫓台のようなものがある。 一段下に池東番所。 水辺を守るための陣地。 先端には池東上の番所なるものもあった。 大竪堀。 朝路池。 落城の際、朝路姫が入水自殺し、又財宝を埋めたとの話が伝わる。 池東番所下の道を進む。 土橋のような地形を進む。 はりつけ松跡。 落城の際、光秀の母、付人腰元等人質の処刑に使った松の跡と伝わる。 はりつけ松跡の手前に三角形の曲輪がある。 上部の様子。 伝茶屋の壇。 その先は伝馬駈場。 竪掘。 馬駈場の先端に、 茶丸跡がある。 芥川某の砦跡。 ここから堀切を下りて、 また登ると、 西蔵丸跡。 堀切へ戻って、 藤ノ木口へ向かって下りて行く。 三本杉。 西蔵丸跡から約15分で藤ノ木口へ。 弓月神社。 この奥にも砦があったとか。 首塚。 首塚から八上城を見る。 旧篠山街道を西進。 一里塚がある。 この辺りは城下町だったのだろう。 一周しましたので、八上城を後にしました。 麓から見た高城山。 八上城さようなら。 (おまけ) お決まりのマンホール。
篠山と言えば、篠山城。 黒豆といのししも有名。 八上城には天守閣が… 1月末には「いのしし祭り」が行われる。 丹波ーガーなるものを食べてみたかった… |
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