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所在地 和歌山県和歌山市秋月365 主祭神 日前神宮:日前大神 國懸神宮:國懸大神 創建 (伝)神武天皇2年(前659) 日前神宮 祭神 日前大神 相殿 思兼命・石凝姥命 国懸神宮 祭神 国懸大神 相殿 玉祖命・明立天御影命・鈿女命 謹みて按するに日前國懸大神は天照大神の前霊に座しまして其の稜威名状すべからざる太古天照大神天の岩窟に幽居ましし時群神憂い迷い手足措く所を知らず諸神思兼命の儀に従ひて種々の幣帛を備へ大御心を慰め和め奉るに當り石凝姥命天香山の銅を採りて大御神の御像を鋳造し奉る。 是日前神宮奉祀の日像鏡(ひがたのかがみ)國懸神宮奉祀の日予鏡(ひぼこのかがみ)にして二鏡齋き祀る。 例祭 9月26日 和歌山市秋月鎮座 良く解らないので、 【歴史】 日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。 『日本書紀』に、天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られているとの記述がある。 社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年(前659)、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。 当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年(前14)に現在地に遷座したと伝えられている。 なお、伊太祁曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁曽神社があったが、紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁曽神社は現在地に遷座したとしている。 また、日前・國懸両神宮の遷宮前の旧社地には浜宮神社が鎮座している。 朱鳥元年(686)には國懸神に奉幣したとの記事がある。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、紀伊国一宮とされた。 中世には、熊野詣での途中で参拝されたとの記録がある。 天正13年(1585)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。 その際社殿が取り壊され境内が荒廃したが、江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興された。 しかし現在は最盛期の5分の1の広さになっており、社殿や施設などは往時を忍ぶに及ばない。 さらに大正8年(1919)には国費による改善工事によって境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。 大正15年(1926)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。 明治4年(1871)、近代社格制度において両宮ともに官幣大社に列せられた。 現在は神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっている。 (wikipediaより) 最寄駅は、和歌山電鐵貴志川線日前宮駅 。 太田城の南にある。 周囲を堀がめぐる。 境内入り口。 1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社がある。 総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。 手水舎。 社務所。 神楽殿。 鬱蒼とした社叢の参道。 しばらく進むと突き当り。 二手に分かれる。 まずは右へ。 摂社中言神社。 祭神 名草彦命・名草姫命。 名草彦命は、天道根命の五代子孫にて、妻である名草姫命とともに祀られている。 末社市戎神社。 祭神 蛭子神。 末社松尾神社。 京都洛西の総氏神である松尾大社から分社され、当宮の末社となった。 特に醸造の祖神として特別な崇敬を受けており、毎年11月には「松尾祭」が厳かに斎行されている。 奉納された酒樽。 引いて見る。 国懸神宮が見えてきました。 国懸神宮。 池。 崩れかけた末社。 国懸神宮の参道。 国懸神宮へ戻って今度は日前神宮へ向かう。 摂社天道根神社。 祭神 天道根命。 天道根命は神武天皇に仕え、初代紀伊国の国造となった人。 紀氏の先祖。 末社深草神社。 祭神 野槌神。 野槌神はイザナギ・イザナミの子にして、草や野に関するすべてを司り、守護する神。 古来より神の使いとしての「牛」と信仰を結び、野草を食むことから、くさ(人体の腫物)を食むという「病気平癒」の高い神徳があるという。 日前神宮が見えてきました。 日前神宮。 日前神宮の相殿神である思兼命について。 池。 名の解からない末社群。 日前神宮の参道。 社務所へ戻る。 神楽殿裏側。 最後に御朱印。 歴史は古いものの、改変と縮小で変わってしまった日前宮でした。 |
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