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登城日 2012年 2月25日(土)曇 難易度 ☆ 場所 愛知県豊川市御津町西方中屋敷54 【西方古塁】 戦国武将池田輝政は、吉田城主であった天正18年(1590)から慶長5年(1600)の間、田原、西方、新城、牛久保の四ヶ所に拠点となる城塁を築かせた。 西方には、森寺政右衛門忠勝が配置せれて築塁した。 大きさは東西330m、南北220mの長方形で、周囲に幅10m位の堀をめぐらし、内側に土居を築いたものである。 慶長17年松平忠利が吉田城主になると、弟の忠貞が塁を守った。 その子忠高は、1,200石の知行所を返上し、蔵米取りとなり江戸に移った。 城塁は家老の永沢太郎左衛門がもらい受け帰農したが、時の代官鈴木八右衛門の命により鈴木姓を称した。 以後代々この塁の跡に住んだ。 豊川市教育委員会 西方古塁は、JR愛知御津駅と敬圓寺の間にあります。 東側には水堀が残る。 反対側は梅林。 土塁を覗いてみる。 木が鬱蒼としていて良く解らないが、僅かに残っているようだ。 土塁の森を本丸側から見る。 説明板によると城塁には今でもご子孫の方が住んでいるようだ。 愛知御津駅近くの広幡神社。 一の鳥居。 二の鳥居。 社殿。 御由緒によると、旧称は八幡宮で西方古塁をもらい受けた家老永沢太郎左衛門が社殿を修復したと云う。 小さな西方古塁でした。 (おまけ) |
城
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