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所在地 愛知県岡崎市中島町字道海1 山号 廬菴山 宗派 浄土宗西山深草派 本尊 阿弥陀如来 創建 応永年中(1394〜1427) 開基 天祐竜山 最寄駅はJR岡崎駅。 西口から名鉄東部交通西尾駅行きのバスに乗って北中島バス停下車。 参道より。 山門。 境内の様子。 鐘楼。 境内北側に銭洗弁財天。 奥の銭洗い場。 正面から。 その横に経蔵。 参道を挟んで反対側に歌碑。 歌碑の奥に捕獲用の檻。 何を捕まえるのかな? 参道正面に鐘楼門。 念ずれば花ひらく。 鐘楼門から境内を見る。 参道南側に救世観音。 手水舎。 寛永17年(1640)に建てられた本堂。 寺額。 失礼しま〰す。 中を覗いてみる。 隣りに寺務所。 崇福寺には文化財として絵画が伝わるらしい。 遠路はるばる来たのですが、寺僧は見かけず、説明板も無かったので良く解らないまま御朱印も貰わず帰途 岡崎市立中央図書館のHPによると、 【崇福寺】 中島町道海1にある浄土宗西山深草派の寺。 盧安山、許応院と号す。 本尊は阿弥陀如来。 応永年中(1394〜1428)に中島城主由良光家が天台宗昌泰寺を改宗させて天祐竜山を開山として創建というが、天祐は播磨赤松氏の出身で、嘉吉の乱(1440)で赤松氏が滅亡した後に三河来住ともいう。 京都円福寺の末寺として宝徳元年(1449)に名がみえるから、応永年中創建とみて良いようである。 深草派三河12本山の一つで慶長7年(1602)6月16日付で朱印地30石。 末寺30、孫寺32を有する中本山で三河三檀林の1。 末寺の大部分は幡豆郡に所在した。 鎌倉時代製作の絹本著色当麻曼陀羅、室町時代の絹本署色十王図は市文化財。 所々に間違いが見受けられるものの、あの円福寺の末寺だったと云う。 江戸時代には、33世赤松三空が京都誓願寺に入り名僧として知られたとか。 また開山の天祐竜山は、 【天祐竜山】 応安3年(1370)に赤松師範の8男として播磨国白旗城に生まる。 2歳で父を失って叔父範貞に養われ、8歳で五箇荘滝口法福寺毫空について得度。 その後上洛して円福寺5世堯慧に師事し、聰明で有名となった。 応永13年(1406)法福寺に帰り約40年間住持であったが、嘉吉の乱(1441)で赤松氏が滅亡すると三河に来住し、占部変相寺に寓居した。 これを知った中島城主由良光家は天台宗昌泰寺を改宗させて崇福寺とし、天祐を開山としたという。 常に学徒300を擁する学場となり、末寺は70をこえたという。 長享元年(1487)11月11日、118歳で没した。 赤松師範は、赤松円心の長男範資の子のようなので、天祐竜山は円心のひ孫かな。 それにしても118歳とは大往生ですね。 (おまけ) 北中島を通るバスは多くないので、帰りは少し先の中島バス停から乗って帰りました。
この地は、戦前まで岡崎と西尾の間を走っていた西尾鉄道(後に名鉄旧西尾線)の中島駅があった所です。 廃線跡探訪はしませんでしたが、詳しくはShaneさんのブログで。 |
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月の輪殿さん,岡崎に来られたんですね!
中島の崇福寺、まだ行った事がないんです(^^ゞ ここも赤松氏ゆかりなんですね〜
僕の記事へのリンクも有難うございました!
WPいきますね!
TBもさせて頂きます^^
2012/10/3(水) 午後 10:57
Shaneさん
勝手にリンクしてスミマセン
2012/10/3(水) 午後 11:10