|
場所 浜松市北区引佐町渋川3795 JR浜松駅から遠鉄バス渋川行きに乗り換え約1時間、渋川大いちょう前バス停下車。 文字通り大銀杏が立つ。 説明板によると、六所神社の御神木だったと云う。 神社は移転し、銀杏だけが残った。 六所神社へ向かう。 都田川を渡る。 いきなり、六所神社の参道入口に渋川の凱旋紀念門が現れます。 説明板 国登録有形文化財(平成14年2月14日登録) 【凱旋紀念門】 1、名称 凱旋紀念門 2、員数 1基 3、所有者 渋川六所神社 4、所在地 浜松市北区引佐町渋川3795 5、年代 明治39年(1906)3月建立 6、構造・形式及び大きさ 煉瓦造、幅3.2m、高さ3.6m 7、概要 日露戦争を記念して、六所神社参道の途中に築かれた。 石造柱脚の上に、柱頭を鋸歯飾とした煉瓦造の柱が立ちあがり、煉瓦造の欠円アーチを 挟み込む。 煉瓦の積み方はフランス積みとする。 大型の石製扁額を挟み、上部に江戸切仕上石材の重厚な笠石を載せる。 県内における初期煉瓦造の構造物。 浜松市教育委員会 近づいてみる。 「凱旋紀念門」の扁額の上に、重厚な笠石が載る。 この凱旋紀念門も、国の登録有形文化財に指定されている。 裏側から。 山田の凱旋門と比較すると、厚みが無い。 せっかくなので、凱旋紀念門を抜けて六所神社へ向かう。 結構登ります。 途中で二手に分れます。 真っすぐ登ると六所神社。 右手を登ると六所稲荷神社。 真っすぐ登る。 木の凱旋門? 六所神社。 明治9年11月に大銀杏の所から遷座。 その奥に六所稲荷神社への参道。 六所稲荷神社。 参道脇に頂上へ登る道があります。 六所神社背後の頂上。 ここを本丸としたら、帯曲輪に稲荷神社、二の丸に六所神社みたいに見えました。 頂上から浜松方面へ行く山道を見る。 帰りのバスに乗り遅れると大変ですので、くれぐれも時刻表のチェックを忘れずに。 最後に、戻ってもう一度凱旋紀念門を背後から。 凱旋紀念門さようなら。 現存する貴重な凱旋門でした。 (おまけ) 渋川城はここではなく、バス停の北側にあった。 登城日 2012年 1月22日(日)曇 難易度 ☆☆ 渋川の商店街。 東の高台に元渋川小学校。 ここには東光院という寺が建っていた。 今は西の方に移転している。 その間の丘が渋川城址。 【渋川城】 渋川小学校(東光院址)の北西に、スロウと呼ぶ小丘陵があり、堀垣・堀合などの小字名が残り、城跡であることがわかる。 東光院棟札に願主井伊五郎藤原直之の名があり「右往古は城門に有り、天文年中当山に移す。今城跡を殿垣内と申之」と記されている。 また「永禄五壬戊十二月十四日、井伊十六代藤原直親公」と読める墓標も近くにある。 井伊氏一族の居館跡と言えよう。 伊平から四方浄を通って南信州へ続く山間の街道に沿う渋川元組の東丘陵にある。 南北100m中央が高く北と南は小丘陵を切断している。 東西幅は約30m、西側の街道とは5〜8mの崖で接している。 土地の人はこの茶畑の丘陵を「スロウ」(城の訛か)、「殿垣内」と言っている。 丘陵の北端、街道との接点には幅3mほどの堀割があり、これが城の東側を孤状に、城の南端までわずかな窪地をつくり、水田と道路となっている。 この低い部分を「堀合」と言うところから濠跡の可能性が強い。 また丘陵東陵には古い井戸があり今もきれいな水が湧くと言う。 城の東側の谷の奥まったところに「上界戸」があり、今も人家が一軒ある。 街道の西側は水田であるが「蔵屋敷」を中心に「蔵下」・「蔵向」・「蔵所」・「弥九郎貝戸」・「馬場」などの小字名が見え興味深い。 しかし遺構はない。 また城の東南麓と北端に五輪塔を中心とする墓地がある。 井伊氏一族の墓という。 遠江の北辺をかためるため、三河地方の境界田沢城・南信地方との境界に近い渋川城、共に井伊谷を拠点とする井伊氏の出城としての意味は大きく、そのために街道を支配するような位置に立地していると考えられる。 また、都田川の谷筋を下れば久留女木・浜北市方面へも通じる分岐点である。 (Shizuoka城と戦国浪漫ウェブサイトより) 城の北側の高台。
城主井伊一族の墓と菩提樹が立つ。 彦根の井伊家とは親戚のようです。 説明板。 江戸時代末期に殿界戸(殿垣内のことかな?)からここへ移されたという。 商店街の元郵便局。 現在の郵便局は西へ移動。 この辺りに城下町があったのかな。 郵便局から北方の山を見る。 山は渋川つつじ公園になっています。 ギフチョウも生息しているとか。 春に訪れると良さそうです。 |
全体表示
[ リスト ]


