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登城日 2012年 8月 9日(木)晴 難易度 ☆ 場所 鳥取県倉吉市仲ノ町 【打吹城跡】 打吹城は室町時代初期、伯耆守護山名時氏の子師義が築いたといわれています。 以後約200年の間山名氏の居城であったが尼子氏の侵攻によって落城し、その後毛利氏の支配下に入り城には城番が置かれました。 そして天正13年(1585)に羽衣石城主南條元続の所領になりましたが南條氏は関ヶ原の役のあと領地を没収され、元和元年(1615)打吹城は廃城となりました。 そして池田藩荒尾嵩就が家老としてこの地を預り、倉吉の近世史が始まりました。 打吹城は、標高204mの打吹山山頂を中心に築かれました。 打吹山の名の由来は次の伝説によると云う。 【打吹山伝説】 むかし、むかし、この山のふもとに天女が舞い降り、水浴びをしていました。 ところが、天女は農夫に羽衣をうばわれ、帰れなくなってしまいました。 天女は、その農夫と結婚し、二人の子どもを生みました。 そして何年かたったある日、羽衣を探し出し、山のふもとの井戸から、天に帰っていきました。 残された二人の子どもは悲しみ、母が音楽を好んでいたので、山の上に登り、鼓を打ち笛を吹いて、母を呼びました。 このことから、いつしか人々は、この山を打吹山と呼ぶようになったということです。 周辺案内図。
(「山陰の城館跡」参照) 白壁土蔵群の横を進む。 打吹玉川は外堀跡とか。 倉吉市出身、第53代横綱琴櫻。 その向かい側の成徳小学校の所に、倉吉陣屋があった。 石垣が僅かに残る。 成徳小学校の東側にある打吹公園の入り口。 明治37年に造られた羽衣池。 天女が水浴びをしたという伝説に纏わる羽衣池は大岳院付近にあったとか。 市役所の奥にある倉吉博物館・倉吉歴史民俗資料館で情報収集。 博物館西隣の欅の平。 陣屋の曲輪かな。 陣屋跡を見下ろす。 さらに西へ進み、御手洗櫓で準備を整えて、 登城開始! 鎮霊神社の参道へ曲がる。 また曲がる。 石垣。 鎮霊神社。 ここは備前屋敷(南条屋敷)跡と云う。 先程の石垣のあった所は虎口だったのだろう。 少し登ると展望休憩所。 さらに登る。 備前屋敷跡から約20分で切通到着。 越中丸へ寄り道。 説明板。 南条氏が領した時代に置かれた城番の一人であった山田備前守の屋敷があった所と云う。 見晴らしは今一つ。 上の郭へ。 越中丸の碑。 八十八ヶ所の説明板。 ここが越中丸の主郭かな。 さらに西側下にも郭があった。 段々の連なる郭が見られたが、時間が無かったので戻る。 切通の階段を登る。 越中丸展望所の模擬櫓。 隣りの廃墟も櫓風。 竪堀のようなものがあった。 石垣かな。 越中丸から約10分で備前丸。 説明板。 南条備前守の屋敷があった所と云う。 さらに登る。 さっきの竪堀のようなものと交錯。 竪堀のようなものは主郭まで続いていました。 主郭直下へ到着。 木戸があったのかな。 虎口へ。 虎口。 虎口を見下ろす。 備前丸から約10分で主郭到着。 主郭部縄張図。 北東隅に天守台。 城址碑。 遠くに田内城が見えた。 天守台から本丸を見下ろす。 天守台の周囲には石垣が僅かに残る。 特に北側下部分に残るが、足場要注意。 北東隅部分。 天守台の西側にあったという本来の主郭虎口は木が生い繁り良く解らず。 主郭西側の凹みは井戸跡かな。 帰りは天守台側から下りました。 天守台東側下は結構石垣が残っていました。 振り返る。 天守台北側直下の空堀。 小鴨丸へ行こうと試みましたが、あまりにも木が生い繁り無理だった… 途中の石垣。 砂防用かな。 備前屋敷跡上の曲輪。 草に埋もれた何かの記念碑が建っていた。 備前屋敷へ階段を下りる。 備前屋敷から階段を見上げる。 ここからも登城出来るということにあるが、あまりお薦め出来ない。 打吹公園へ戻る。 この山の頂上に天守閣が聳えていたんだなぁ〜 破城の跡が著しいが、随所に見所がある打吹城でした。 |
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