|
倉吉の観光案内所で貰った「倉吉淀屋物語」。 江戸時代の大坂に「淀屋」という屋号の豪商があった。 天井をガラス張りにして金魚を泳がせていたと云う。 闕所の公式な理由は「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」というものだったが、諸大名に対する莫大な金額の貸し付けが本当の理由ではないかとのこと。 鳥取県倉吉市東岩倉町に残る倉吉淀屋。 ミセの間。 現在は主屋と離れ座敷が残っています。 また、2階には淀屋の歴史が展示されています。 淀屋系図。 旅館「まきた」。 関係あるかどうか解かりませんが、牧田姓の店が何軒かありました。 打吹玉川沿いに残る淀屋棟甍。 倉吉淀屋の付属屋で使われていたもの。 牧田家の菩提寺である大蓮寺。 由緒書。 山門脇に何故か新田義貞の弟である脇屋義助の墓がある。 その奥に大坂淀屋清兵衛の供養塔。 さらに奥に牧田家墓所。
岡本家淀屋初代常安が架けた淀屋橋。 淀屋橋の南側に屋敷があったと云う。 その隣にレリーフ。 屋敷跡の碑を見渡す。 常安は中之島の開拓を手掛け、米市を開き財を成す。 屋敷から米市へ渡るために架けたのが淀屋橋だったと云う。 米市はやがて堂島に移され、享保15年(1730)8月13日、幕府より公許され世界初の公設先物取引市場堂島米相場会所となった。 説明板。 中之島の様子。 中之島の西側にある大阪市立科学館。 この付近の旧町名は「常安町」。 淀屋初代常安に由来。 科学館西側のなにわ筋に架かる橋。 橋の名は「常安橋」。 やはり淀屋初代常安に由来。 往時は淀屋の蔵が建ち並んでいたことだろう。 岡本家初代常安から四代重当までの墓所は、谷町の大仙寺にある。 五代目広当の墓は、京都・八幡の神應寺にある。 よって、所縁ある淀屋橋の駅から京阪電車に乗って…
闕所処分により財産を失った岡本家五代目広当は、しばらくして八幡柴座の地に居を構えた。 安居橋を渡る。 安居橋から見た放生川。 墓所のある神應寺へ。 階段の続く参道。 途中、ちょっと寄り道してひきめの滝へ。 ひきめの滝。 この辺りから竹の樋を使って放生川の対岸にある邸宅に水を引き、楽しんだという。 戻って、境内へ。 神應寺境内の様子。 本堂よりさらに登った所の墓地にある、淀城主永井家の墓。 その一段下にあるのが広当の墓。 (正面3つの墓碑の左にある小さな墓。) 説明板。 |
全体表示
[ リスト ]






