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場所 鳥取県倉吉市国府 伯耆国府跡から真っ直ぐ進むと、 右手に柱が見えてきます。 反対側はなだらかな傾斜地。 遠くに四王寺山が見える。 山頂には貞観年間(859〜877)に朝廷の命によって建てられた四王寺があった。 柱がある所は法華寺畑遺跡です。 説明。 【法華寺畑遺跡】 この遺跡は、古代の伯耆国(鳥取県の中・西部地区)の政治の中心であった伯耆国庁に関連する役所跡と推定しています。 敷地は150m四方の大きさで、まわりには溝と板塀をめぐらして四つの門があります。 南門を入ると広場があり、この北側に中心となる三棟の建物があり、西北隅を除いて各隅に付属の建物を配置しています。 国分寺とおなじ頃につくられ、10世紀頃まで使われていたようですが、ほかに類例がなく、どのような役所だったかはわかっていません。 ただ、平安時代の記録や地名からは、伯耆国分尼寺であった可能性もあります。 昭和46年に国分寺関連の発掘調査でみつかり、遺跡の重要性から、伯耆国庁跡とともに昭和60年に国の史跡に指定されました。 模型で。 確かに国分尼寺には見えない。 地名と、天暦2年(948)に国分尼寺から火災が発生し隣接する伯耆国分寺まで焼失してしまったという記録から国分尼寺ではないかと言われている。 まずはトイレへ。 トイレに情報が詰まっています。 トイレの入り口にパンフレットがあります。 遺跡全体図。 西南隅。 説明板。 説明板。 南門跡を境内?から見る。 説明板。 人工的な段差が造られている。 参道かな? 南門跡を正面から。 普通は正門である南門を大きくするものだが、法華寺畑遺跡は東西南北に門跡のどれも同じ規模だったのが特徴。 東へ。 東南隅の建物群。 東南隅から北へ。 東門跡が見えてきた。 東門跡。 北東隅を横切る道路。 小田城かー 北東隅の外側に両墓制墓地。 説明板。 北東隅から西へ。 けしからん道路を跨いで、 北門跡が見えてくる。 北門跡。 北門跡から南門跡にかけて建物跡が3つ連なる。 建物跡から西門跡を見る。 北門跡を見る。 いよいよ西門跡へ向かいます。 西門跡近くの建物跡。 復元された西の四脚門。 説明板。 斜めから見る。 塀跡と溝。 説明板。 やはり寺院跡には見えない法華寺畑遺跡でした。 |
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