|
所在地 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68 山号 霊亀山 宗派 臨済宗天龍寺派 本尊 釈迦如来 創建 康永4年(1345) 開基 足利尊氏、夢窓疎石(開山) 【天龍寺】 霊亀山と号する臨済宗天龍寺派の大本山で、釈迦如来を本尊とする。 平成6年(1994)に世界文化遺産に認定登録された。 足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応2年(1339)、夢窓疎石を開山に迎え創建した寺院で、当初は暦応資聖禅寺と称されたが、尊氏の弟直義が見た金龍の夢に由来し、天龍資聖禅寺と改められた。 その後、寄進や天龍寺船の貿易収入により伽藍が整えられ、至徳3年(1386)には、京都五山の第一位を占め、大いに隆盛を極めた。 しかし、度重なる災火により堂宇を焼失し、現在の諸堂は明治以後に再建されたものである。 夢窓疎石の作庭と伝えられる地泉回遊式庭園は曹源池を中心に遠景の嵐山と近景の亀山の借景を巧みに取り入れており、国の史跡及び特別名勝第一号に指定されている。 また、寺宝として、絹本著色夢窓国師像など数多くの重要な文化財を蔵している。 京都市 最寄駅は嵐電嵐山駅。 境内案内図。 総門の北側に塔頭三秀院。 東門脇に建ち並ぶかわいいお地蔵様。 貞治2年(1363)に夢窓国師の法嗣(後継者)不遷法序を開基として創建された。のち荒廃するが、後水尾天皇によって寛文年中(1661〜1672)に中興。 明治5年(1872)に塔頭養静軒を合併して現在地に再建された。 境内の様子。 東向大黒天。 本堂。 庭。 仏足石。 南門から出る。 出た所に中門。 中門の南側に勅使門。 伏見城から移築されたものと云う。 勅使門の西側に前庭の蓮池。 西側に前庭。 秋は紅葉がきれいでした。 中門から西へ延びる参道。 北側に塔頭が建ち並ぶ。 塔頭弘源寺。 永享元年(1429)に、室町幕府管領細川持之が夢窓国師の法孫にあたる玉岫禅師を開山に迎えて創建した。 創建当時は小倉山の麓に位置し北は二尊院、南は亀山にいたる広大な寺領を有していたが、幾度かの火災に遭遇し変遷を重ね、明治15年に末庵である維北軒と合寺し、現在に至る。 境内の様子。 突然ですが… 秋の手水舎。 奥の訪中之記の塔と紅葉。 毘沙門堂。 正面扁額は弘法大師直筆。 国指定重要文化財である毘沙門天立像を安置。 文殊菩薩。 臥牛石。 信楽の狸かな。 本堂へ。 本堂は客殿形式で寛永年代の造営。 正面中央には本尊観世音菩薩、右側に開山である玉岫禅師像、左側に開基である細川右京大夫持之の位牌を祀る。 柱には、幕末(1864)の「禁門の変(蛤御門の変)」に際し、天龍寺に陣を構えた長州藩の軍勢が試し切りをした刃傷が残る。 嵐山を借景とした枯山水庭園。 虎嘯(こしょう)の庭と呼ばれている。 曇った窓を開けられないのが残念。 こちらは中庭。 最後に御朱印。 弘源寺を後にする。 弘源寺の西隣りは大辧財天。 塔頭慈済院の境内にある。 由緒。 休憩所で一休み。 大辧財天の西隣りは塔頭慈済院。 貞治2(1363)年創建。 天龍寺第二世、無極志玄(佛慈禅師)を開基とする。 明治5年(1872)、塔頭福寿院を合併した。 境内は拝観停止で覗くだけ。 慈済院の西隣りは塔頭松厳寺。 この寺も拝観停止。 山門を入り西側に一刀彫の福禄寿が祀る福録寿堂がある。 脇の路地を進むと墓地があり、坂本龍馬像と船中八策の碑があるらしい。 (墓地参拝者以外立ち入り禁止) そして、いよいよ天龍寺境内です。 (つづく) (おまけ) 弘源寺の舊地付近(落柿舎から二尊院へ行く途中)に境外墓地が残る。 ここには松尾芭蕉の門弟、向井去来の墓がある。 また、西行井戸と歌碑も。 中の様子は別の機会で。 |
全体表示
[ リスト ]




